長崎に原爆が投下されてから9日で80年。被爆後の写真と同じ角度から現在の様子を撮影し、比較した。米国立公文書館には上空から撮影された写真が多数保存されている。
爆心地から約600㍍にあった長崎医科大(現在の長崎大医学部)は壊滅状態となり、学生や教職員ら約900人が犠牲となった。
午前11時2分。講義中に被爆
「長崎原爆戦災誌」によると、原爆が炸裂(さくれつ)したとされる1945年8月9日午前11時2分は、講義が行われていた。
講堂の焼け跡から、教授は教壇に、学生は座席についたままの姿で発見されたという。
現在は医学部や大学病院などがある長崎大坂本キャンパスとなっている。
JリーグチームのV・ファーレン長崎の新本拠地「ピーススタジアム」の敷地には、太平洋戦争中に軍需工場があり、動員された学生が原爆で亡くなりました。80年前と現在を写真で比較します。
長崎市の北側から長崎駅方向…