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大の里が優勝し、パブリックビューイングで大歓声を上げる石川県津幡町の住民ら=2024年5月26日午後5時23分、石川県津幡町、波絵理子撮影

 大相撲夏場所で、石川県津幡町出身の小結・大の里が初優勝を果たした。初土俵から7場所目での優勝は、優勝制度ができた1909年以降最速。能登半島地震で傷ついた石川県には朗報となり、地元は喜びに沸き立った。

 石川県出身者の幕内優勝は、1999年名古屋場所の出島(金沢市出身)以来25年ぶり。大の里は先場所、最終日まで優勝争いをしながら、千秋楽で優勝を逃していた。

「がんばれ!!大の里」地元・町役場で歓声

 大の里の出身地・津幡町では、町役場でパブリックビューイング(PV)が開かれた。3月場所でもPVを開いたが、その2倍以上となる約400人が詰めかけ、歴史的瞬間を見守った。馳浩知事も会場に駆けつけた。

 「がんばれ!!大の里」と書かれたカードや手作りの横断幕を持ち、緊張した面持ちで取組を見つめる。優勝が決まった瞬間、大歓声が上がった。跳びはねたり、抱き合ったり。感極まって涙を流す人もいた。

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大の里の優勝が決まった瞬間、大歓声を上げる石川県津幡町の住民ら=2024年5月26日午後5時22分、石川県津幡町、波絵理子撮影

 大の里が小学生の頃に通っていた「津幡町少年相撲教室」でコーチをしていた教諭の西村幸祐さん(45)は「人ってどこでどうなるか分からんな」とつぶやいた。少年時代は「やんちゃ坊主で、でも教室の誰よりも相撲に詳しかった」と振り返る。取組前の表情を見れば、緊張しているか分かるといい、この日は落ち着いていたという。

 西村さんは「これで終わりじゃない。地位はもちろんだけど、一人でも多くの人に応援してもらえる力士になってほしい。今日これだけ町の人が応援してくれたことは、本人に伝えたい」と話した。

 大の里に稽古をつけてもらったことがあるという町立津幡南中学校3年で相撲部の副部長、安井礼也さん(15)は、幕内最速優勝の快挙に「石川の誇り。いつも憧れる存在で、大きくて優しく声をかけてくれる人。攻めた相撲だった」と笑顔で話した。

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大の里が優勝し、パブリックビューイングで大歓声を上げる石川県津幡町の住民ら=2024年5月26日午後5時23分、石川県津幡町、波絵理子撮影

 富山市から訪れた自営業の新鞍(にいくら)知佳恵さんは、能登半島地震をきっかけに大の里のファンになったという。

 海沿いに住む新鞍さんは、地震後に余震や津波を警戒し、常にテレビをつけ、NHKを流していた。それまで縁のなかった大相撲の中継で、大の里がざんばら髪姿で奮闘する姿を見た。

 「ちょんまげもしていない子がすごく頑張ってて、応援したいと思った。今日は感動しました」と涙ぐみながら話した。

「この瞬間、一生忘れません」

 能登半島地震の被災地、珠洲市若山町の生涯学習センターの避難所では、いつもなら夕食の時間だが、テレビの前に集まった10人ほどが祈るように画面を見つめた。

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石川県珠洲市の避難所のテレビの前に集まった人たちからは、優勝と同時に歓声と拍手が湧き起こった=2024年5月26日午後5時18分、珠洲市若山町、上田真由美撮影

 大の里が勝利した瞬間、思わず立ち上がって拍手をした女性(77)は、「今日の日を忘れんとこうね」と言い、こぼれる涙に両手で目を覆った。

 「年が明けてから、こういう…

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