(5日、第107回全国高校野球選手権大会開会式)
第107回全国高校野球選手権大会(朝日新聞社、日本高等学校野球連盟主催)が開幕した。開会式で入場行進の先導役を務めたのは、大体大浪商(大阪)の安田智樹主将(3年)だ。
「野球ができるのは当たり前じゃない」。そんな思いを抱きながら、全国から集まった49チームを堂々と先導した。
今から約80年前。第2次世界大戦の影響で全国中等学校優勝野球大会(現・全国高校野球選手権大会)は4年間、中断された。国がスポーツの全国大会の開催を禁じたためだ。
終戦から1年後の1946年に大会は再開した。米軍に接収された甲子園球場にかわって西宮球場が使われ、大体大浪商の前身・浪華商が優勝。敗戦直後の日本に明るい話題をもたらした。
当時を記録した朝日新聞の冊子には「大優勝旗をささげて、西宮球場を一周するナインの足どりは、平和への限りない前進の一歩一歩である」と記してある。
今年は戦後80年を迎えることから、平和への願いを込めて、当時の優勝校の後輩にあたる安田主将が先導役として選ばれた。
大役を任された安田主将は、46年の大会当時の様子を知ろうと、学校で過去の記録を探した。
捕手として大会に出場し、後に同校の監督も務めた広瀬吉治氏(2018年に死去)が書いた手記などを読んだ。
当時は物資不足の時代で、球児たちは手縫いのボールやグラブを使い、イモの葉やツルで飢えをしのぎ、空腹でふらふらになりながら練習した。浪華商は空襲で校舎が全焼し、仮校舎で学びながらの出場だった――。
「イモのツルを食べるの?」。安田主将は衝撃を受けた。
自分は寮で白米を食べていたし、グラブもボールも必要な分だけある。現代との違いに驚き、「野球ができるのは平和があるからだ」と改めて感じたという。
安田主将は行進後、「平和への願いや野球ができる喜び、今までの感謝を込めて歩いた。(思いは)伝えられたと思う」と話した。