太平洋戦争中、米国本土を爆撃した海軍パイロットがいた。茨城県土浦市に住んでいた藤田信雄さん(故人)だ。戦後は爆撃した米国の街と交流をすすめ、草の根の日米親善に努めた。最近では著作が出版されるなど脚光を浴びつつある。

 開戦から4カ月後の1942年4月、東京を初空襲された日本軍は報復を期していた。白羽の矢が立ったのは潜水艦の飛行長をしていた藤田さんだ。

 潜水艦のカタパルトから発進した小型水上機で偵察任務をしていた。水上機に搭載した爆弾を、米国・オレゴン州の森林に落として、山火事を引き起こす任務を命じられたのだ。

森林に計4個の爆弾を投下

 実行は同年9月。潜水艦はオレゴン沖に浮上、藤田機は米本土に2回侵入し、同州ブルッキングス市郊外の森林に計4個の爆弾を投下した。

 記者はそのときの思いを聞いたことがある。

 「出撃のときは、海上で撃墜…

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