大社―報徳学園 報徳学園を破り、笑顔で応援席に向かう大社の選手たち=角野貴之撮影

(11日、第106回全国高校野球選手権大会1回戦 島根・大社3―1兵庫・報徳学園)

 1915(大正4)年の第1回大会の地方大会から一度も欠かさず出場し続けている「皆勤」15校の一つ、島根県立大社が32年ぶりに阪神甲子園球場に戻り、今春の選抜大会の準優勝校・報徳学園を破った。

 一回に2点を先制し、七回にも1点を追加。九回に1点を返されたが、逃げ切った。夏の甲子園大会で63年ぶりの勝利をつかんだ。

 一塁側のアルプス席はほぼ満員。勝利が決まると、甲子園は大きな拍手に包まれた。

 ベンチ入り20人のうち19人が島根県出身だ。そのうち3人が島根県の離島・隠岐出身。隠岐の島町立西郷中出身の安部莉生(りお)選手と高梨壱盛(いっせい)選手、同町立五箇中出身の山本佳汰投手(いずれも3年)だ。

 島に硬式野球部がある高校は1校しかない。3人は中学の進路相談のころ、その野球部が部員不足で「なくなるかもしれない」と聞いた。それぞれが甲子園でプレーするのを夢見ていた。

 2021年の島根大会。決勝は今年と同じ顔ぶれで夏11回出場(校名変更前も含む)を誇る私立の石見智翠館と大社が対戦した。大社が無安打無得点で敗れた。

 「大社で強豪私立を倒す」。安部選手は決意した。同じクラブチームだった1歳上の先輩が大社にいた。一方、高梨選手は、大好きな島や親元を離れ、寮生活をしながら厳しい野球生活を送ることに不安を覚えた。

 2人には小学生のころから野球を通じて仲良くなった友達がいた。当時、松江市立第4中学にいた石原勇翔選手(現・大社主将、3年)だ。島と本土を行き来し、大会や練習試合、ホームステイなどで交流を深めた。「一緒に甲子園へ行こう」。2人に誘われ、迷っていた高梨選手も大社に行くと決めた。島の2人と同じクラブチームだった山本投手も大社を選んだ。

 3人は順風満帆ではなかったが、それぞれに壁を乗り越え、甲子園20人のメンバーに入った。

 安部選手は入学間もない頃に左肩を脱臼し、一時、右打ちが難しくなった。治療中に左打ちで素振りを重ね、左右どちらでも対応できるまでになった。代打の切り札として期待される。

 高梨選手は1年秋から試合に出るようになったが、エラーで自分を責めて苦しんだ。守備練習を重ね、一塁手のレギュラーに定着した。山本投手は、「二枚看板」の一角に目されたが、今春の県大会前から運動障害に苦しんだ。それでもあきらめず、夏の甲子園直前にメンバー入りした。

 「島魂(とうこん)」。甲子園出場にあたって、3人がそろって掲げる言葉だ。「聞くとやる気が出る」(安部選手)、「島に恩返しがしたい」(高梨選手)、「隠岐の島を背負って戦う」(山本投手)。島のクラブチームの指導者から、卒団式で贈られたボールに書いてあったという。

 野球をさせてもらっていることへの感謝、子どもは島の宝、島のみんなが応援している……。島で指導者だった大社OBから「この三つを忘れるな」と言われていたことを高梨選手の母和美さん(52)は覚えている。(中川史)

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