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山梨学院―岡山学芸館 八回表山梨学院2死二塁、捕手前田は菰田の適時打で、二塁走者平野の生還を許す=小玉重隆撮影
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(16日、第107回全国高校野球選手権3回戦 岡山学芸館0―14山梨学院)

 五回、岡山学芸館の2番手が山梨学院打線の猛攻を浴び、7点差をつけられた。たまらずベンチはエースの左腕青中陽希投手(3年)に交代。あわせて捕手も代えた。扇の要を任されたのは、前田蓮斗選手(3年)だ。

 昨夏も甲子園ベンチ入りしたが出場機会はなし。最後の夏も岡山大会3回戦に出た後は出番がなかった。それでも「準備はしていました」。1失点は喫したものの、好リードで後続を断った。

 応援席には、父貴之さん(46)と母智佳さん(40)がいた。「ピンチの場面での出場で、どきどきしました」

 両親ともに耳が不自由。聴覚障害2級で、左耳は全く聞こえない。右耳は補聴器を付け、右耳から伝わるスタンドの打球音を頼りに声援を送った。

 前田選手は大阪府貝塚市出身。5人兄弟の次男で、小学校は軟式、中学では硬式の捕手だった。

 高校に進む時、府内外の高校から声がかかったが、野球に専念する環境が整っている岡山学芸館に決めた。

 家を出るまで、野球のそばにはいつも家族がいた。練習が終わると、率先して幼い弟のおむつを換えたり、風呂に入れたり。週末に試合がある日は、いつも早起きした智佳さんに弁当を持たせてもらった。「両親や、試合を見に来てくれる祖父母には感謝しかありません」

 寮生活を送っている今、両親とはLINEの文字でやりとりしている。智佳さんによると「野球を始めてから『やめたい、休みたい、野球は嫌』という言葉を全く聞いたことがありません」。

 この日、五、七回に打席に立ったが、いずれも三振に倒れ、両親に快音を聞かせられなかった。「打って流れを変えたかったが、自分ができる精いっぱいのスイングをした。最高の舞台で家族に見てもらい、悔いはありません」。東北地方の大学で、野球を続ける。

 貴之さんは言う。「思いっきりバット振ってる姿を見て、勇ましく、そして誇らしかった」

 これからも、試合があるごとに遠出でも駆けつける。「応援し続けます。ファン1号として」

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