飛鳥時代の手工業技術を集めた総合工房とされる飛鳥池遺跡(奈良県明日香村)の出土品と、奈良時代に造られた西隆寺の跡(奈良市)から出土した木簡が、国の重要文化財に指定される見通しとなった。これらの木簡の価値や重文指定の意義について、調査・保管を担ってきた奈良文化財研究所(奈文研)の山本崇・歴史史料研究室長(日本古代史)に聞いた。

 飛鳥池遺跡は、7世紀に歴代天皇が宮殿を築いた飛鳥宮跡や、国内最初の本格的な伽藍(がらん)をもつ飛鳥寺などの重要施設が集まっていたとされる飛鳥の中枢部に位置する。

 1991年に奈文研(当時は奈良国立文化財研究所)と村教育委員会による発掘調査で遺跡が確認され、97年から約5年間、奈文研が調査した。

 この遺跡からは、最古の鋳造貨幣「富本銭」の生産を示す資料や、金・銀・銅・鉄などを素材に、仏具や調度品、建築金物、工具、武具、などを生産した痕跡がみつかった。大半が7世紀後半の天武・持統両天皇の時期とみられる。

 7760点もの大量の木簡が発見されたことも遺跡の価値を高めた。

 山本さんによれば、飛鳥池遺跡は工房が展開した南地区と、飛鳥寺に近い北地区とでは性格が異なるという。出土した木簡数も北地区の方が圧倒的に多く、僧侶名や寺院名、仏教用語など寺院で使われたとみられる内容が多い。7世紀中ごろに入唐し、玄奘(げんじょう)に師事した道昭(どうしょう)が暮らした飛鳥寺東南禅院との関わりも深いとされる。一方の南地区では、金属製品や原料、工人などにかかわる内容の木簡が多数を占める。

 今回指定される見通しの木簡は計108点。「天皇」と記された木簡や、漢字の読み方を記す辞書的機能をもった「音義木簡」などが含まれる。「天皇木簡」は天武・持統朝に「天皇」号が成立していた可能性を高めることにつながった。

 山本さんは「7世紀の木簡や墨書土器などの一次史料は限られている。飛鳥池遺跡で大量に出土した木簡を通じて律令国家形成期の貴重な歴史を知ることができ、史料的価値は高い」と話す。

 西隆寺は、奈良時代後半の称徳天皇(在位764~770年)が勅願した尼寺で、鎌倉時代までに廃絶したとみられる。

 近鉄大和西大寺駅近くの商業ビルなどの開発に伴い、奈文研と県教委が1971年に発掘調査を実施。東門の近くなどから79点の木簡が出土し、そのうちの75点が重文に指定される見通し。役人や個人からの知識銭(寺院の造営などのために寄進した銭)の付札など、奈良時代末期の平城京の社会史の理解につながる木簡群だ。

 現在、遺跡の上にはビルが立ち並んでいるが、山本さんは「まだ地下に眠る西隆寺の遺跡が、この木簡の指定をきっかけに守られることを願っています」と話す。

 奈文研は11月、明日香村の飛鳥資料館で飛鳥池遺跡出土品を紹介する特別展を開き、12月には奈良市の平城宮跡資料館で西隆寺出土木簡の展覧会を開く予定だ。

共有
Exit mobile version