週末は晴れるだろうか、大雨の予報が出ているが避難は必要だろうか。毎日の生活にかかせない天気予報や防災情報。その裏には、150年にわたる気象観測の歩みがあり、「三種の神器」といわれる画期的な技術の登場によって、大きく進歩してきた。
日本で気象観測が始まったのは150年前の1875年6月1日。今の気象庁の前身となる東京気象台が、東京都港区の虎ノ門に置かれ、地震と気象の観測が始まった。当時は、地震計や降水量、気温の計器を職員が直接目視で読み取り、手作業で記録していた。
日本での気象観測の必要性を説き、観測業務を始めたのは、来日していた英国人の測量士ジョイネルだった。明治時代に入り、政府が海外からの技術を採り入れた近代化を進めるなかで、こうした「お雇い外国人」たちがきっかけとなり、日本の観測業務は発展した。
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各地に測候所が設立されたことで、ドイツ人の気象学者クニッピングが電報を使って観測データを収集。1883年に初の天気図を作成し、海運の発達とともに必要性が高まっていた暴風警報の発表が開始された。
1884年には天気予報も始まった。初の天気予報は「全国一般風ノ向キハ定リナシ天気ハ変リ易シ但シ雨天勝チ」という日本全国の予想を一文で表現した簡単なものだった。その後、天気予報は新聞やラジオでも報じられるようになり、身近なものになっていった。
技術の発展は災害との闘いの歴史
日本の観測技術の発展は、災…