吹き抜けの天井が広々とした大講堂を、ほの暗い照明が厳かに照らす。だが入った瞬間、違和感を覚えた。ひょっとして傾いている……? 実はこの部屋、床板が入り口から奥に向かって緩やかに傾斜している。

 もとは1934年に陸軍士官学校として造られた建物で、平成に入り、防衛庁移転に伴い解体された。今の市ケ谷記念館は、市民による保存運動を経て、大講堂や陸軍大臣室など一部が防衛省により移築・復元されたものだ。

東京裁判でも使われた市ケ谷記念館の大講堂=2024年9月4日午前11時45分、東京都新宿区、柴田悠貴撮影

【撮影ワンポイント】市ケ谷記念館の大講堂

正面奥に見える直線的な構造の玉座とは対照的に、手すりも中央部が手前に曲がっている。空間的な広がりを見せるため、16ミリの広角レンズを使用した。歴史を感じさせる重厚な床の質感は、天井ライトの反射をフレームに入れることで表現した。(柴田悠貴)

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 大講堂は延べ1150平方メートル。士官学校時代は入校式や卒業式に使われ、正面奥のステージには行幸した天皇のための玉座が置かれた。防衛省によると、床が傾いているのは「天皇に『2階席から見下ろされている』と感じさせないため」。扉を平面より50センチほど高くすることで、玉座からの目線は扉上部の2階席とほぼ同じ高さになる。

 ステージの床は、箱根の寄せ木細工。背面は西陣織で装飾されている。側壁と天井も緩いカーブを描いており、遠近法で玉座がより奥に見える。あちこちに凝らされた意匠は、天皇が主権者だった時代の名残だ。

 41年に大本営陸軍部が置か…

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