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AR(拡張現実)画面で再現した「荻窪会談」の様子。写真左から近衛文麿首相、松岡洋右外相、吉田善吾海相、東条英機陸相=東京都杉並区提供
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 日本が日中戦争から太平洋戦争へ戦線を拡大するきっかけの一つとなった「荻窪会談」は、近衛文麿首相(当時)の私邸「荻外荘(てきがいそう)」(東京都杉並区)で開かれた。一般にも公開されている荻外荘は、戦争の歴史の中でどのような意味を持ち、何を今に伝えるのか。明治大文学部の山田朗教授(日本近現代史)に聞いた。

日独伊三国同盟の締結へ、陸海軍の融和に苦心

 荻窪会談は、第2次近衛内閣の発足が決まった直後の1940年7月19日にありました。組閣前にもかかわらず、陸相、海相、外相にそれぞれ内定していた東条英機、吉田善吾、松岡洋右の3人を呼ぶ異例の話し合いでした。

 近衛の狙いは、検討していた日独伊三国同盟に対する陸軍、海軍の立場を確かめることにありました。第1次近衛内閣(37年6月~39年1月)の崩壊の理由の一つに両者の対立があり、その二の舞いを避けたかったのだと思います。一つ前の米内光政内閣も、同盟反対派で海軍大将でもあった米内と推進派の陸軍が衝突し、総辞職に追い込まれていました。

 ドイツは40年5月から6月…

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