乾紀子さん=2025年5月、大阪市淀川区、山下知子撮影

Re:Ron特集「わたしの名前」② 乾紀子さん

 個人と社会の境界にあるのが「名前」です。個人のアイデンティティーであると同時に、社会状況も大きく影響を受けます。「私」をどう名乗るのか、どう名乗れるのか、名乗れないのか。名前に込めた思いについての「聞き語り」をシリーズでお届けします。

 10代の頃から、結婚で姓が変わることに疑問を感じていました。

 大阪府内の高校を卒業後、1989年に福祉の専門学校に進みました。家族法の授業で、「介護をするのが『長男の嫁』という文化は間違っている。社会で担うものだ」とたたき込まれました。

 ですが、福祉の現場で働き始めて利用者の資料をめくると、「主たる介護者」の項目はほぼ「長男の嫁」。めくれどもめくれども、です。2000年の介護保険制度の運用前のことでした。

 聞けば、「ちょっとした外出もままならない」「死なないと終わらない」「仕事を辞め、自分の時間も諦めた」……。多くの女性が、心身がボロボロになるまで義両親の介護に追われていました。しかし「嫁」には、義父母の遺産を相続する権利も介護の義務もありません。

 なぜこんなことが起きているのか。

 当時20代の私は「『嫁』とやらになったら、世の女性はおしまいだ」と感じました。そして、問題の根っこに「妻の姓を夫の姓に変える」という結婚の形があるのでは、と思い至りました。

話し合ったけど… 「お前の名字は何だ」

 ただ、04年に最初の夫と結婚にするにあたっては、姓を変えざるを得ませんでした。

 乾姓を維持したい気持ちを伝えると、「そうか、そうか」と聞いてくれていましたが、婚姻届は「どうしても出したい」と。当時、選択的夫婦別姓を認める法律は実現しそうになく、悩みました。通称使用でなんとかなるかな、と思い、同意しました。

 甘かった。乾紀子として仕事を続けようと勤務先に伝えたら、「名前を変えたくないなら結婚するな」と上司に言われました。

 そして、夫の豹変(ひょうへん)。

 「お前の名字は何だ。この家…

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