昨年9月に、鹿児島県の奄美大島で特定外来生物のマングースが「根絶」されて、3日で1年になる。根絶を宣言した、当時の植田明浩・環境省自然環境局長(現・参与)がインタビューに応じ、約30年をかけた事業の歩みを振り返った。
- 【解説人語】マングース「根絶宣言」の奄美大島 世界的成果への歩み
――奄美のマングース駆除は、1990年代前半に始まり、2024年9月に根絶が宣言された。自身との関わりは。
1997年度から4年間、環境省の野生生物専門官をやっていて、その時に防除のモデル事業が始まった。当初は「根絶を目指すなんて大丈夫?」「税金の無駄遣いにならないか」と庁内からも懐疑的な意見が出ていた。それが30代前半のころ。
外来種問題の背景や構造、考え方を整理して、行政としてどう取り組むべきかを資料にまとめるなどして、少しずつ理解を広げた。
――2012年には民主党政権下で、防除事業が「非効率」と判断され、廃止の危機に立たされた。学術界からの提言などで存続が決まった。
那覇自然環境事務所(現・沖縄奄美自然環境事務所)の所長だったときで、心配していたことが起きたと感じた。税金が投じられ、捕獲数が減る中で、「いつまでやるんだ」「終わりを示せ」という重圧はあった。
学術界の動きに加えて、政府も地元も世界自然遺産の登録を目指していたというのも大きかった。評価機関からは、「マングース対策は遺産登録に不可欠」と指摘されていたことも、最後まで事業を続けることを後押ししたと思う。
あの時、自然に手が動いていた
――自身が奄美へ行って根絶を宣言すると思っていた?
数年前から、計算したら「あ…