「越智観世」と呼ばれた猿楽能の一派をご存じでしょうか。中世に現在の奈良県高市郡を支配した越智氏と、深い関わりをもっているそうです。奈良県大淀町教育委員会の学芸員、松田度さんに語っていただきました。

南朝を支えた越智氏

 最近、中世の奈良県(大和国)を代表する国人領主・越智氏(おちし)を調べています。

 越智氏は南北朝時代(14世紀)から15世紀の末ごろまで、越智丘陵(奈良県高市郡高取町)の西端、越智城(越智館)を本拠に、高市郡一帯を支配していました。続く戦国時代(16世紀)には、難攻不落の山城・高取城を詰城として、大和郡山市域を本拠とする国人領主・筒井氏と、大和国を二分する戦を繰り返していました。

 越智氏は代々、北朝を支える京都の室町幕府に対し、吉野の南朝に心を寄せ、支援を続けました。父・観阿弥とともに観世座を創始し、京都で活躍した猿楽能の大成者・世阿弥は、晩年に幕府から疎まれたこともあって、息子・観世元雅とともに、越智氏の当主・維通のもとへ身を寄せていたようです。

吉水神社の能面は何を語る

 元雅は永享2(1430)年…

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