南都焼き打ちで焼失した際の層を指さす調査担当者。左下は出土した礎石=2024年9月19日、奈良市雑司町、今井邦彦撮影

 奈良・東大寺の「三面僧坊跡」で、12基の礎石と、3回にわたる火災の痕跡が見つかった。発掘調査した寺などの調査団が19日、発表した。最盛期には約1千人の僧が暮らしたとされる巨大な宿舎の跡で、平安時代末の平家による南都焼き打ちなど、記録に残る三度の焼失も裏付ける発見という。

 大仏殿の北にあり、経典の講義などを行った講堂の周囲をコの字形に囲むように建てられた。推定で東西221メートル、南北126メートルという大規模な建物。寺に伝わる記録によると、講堂と三面僧坊は平安時代前期の917年、南都焼き打ちの1180年、戦国時代の1508年の3回焼失し、その後は再建されなかった。

 発掘調査は、境内を流れる小川の護岸工事にあわせ、寺と奈良文化財研究所、奈良県立橿原考古学研究所による調査団が実施。川底から最大で直径1メートル以上の礎石12基が出土した。その周囲から3層の焼け土の層が見つかり、講堂と僧坊が奈良時代に創建された後、2度の再建を挟んで3回焼失したことが裏付けられた。

 三面僧坊は正倉院に伝わる絵図などに描かれ、復元研究もされてきたが、考古学的な情報は限られていた。東大寺境内史跡整備計画室の南部裕樹室長は「大きな礎石は、僧坊が東大寺にふさわしい、大きく立派な建物だったことを物語っている」と話す。

 東大寺史研究所長を務める栄原永遠男(さかえはらとわお)・大阪市立大学名誉教授(日本古代史)は「焼土層が記録と合致したことは貴重な発見。僧坊跡の保存状態も良好なようだ」と評価する。

 現地説明会は21日午前9時半~午後3時半。小雨決行。(今井邦彦)

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