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岡澤敬子・高田署長(左)と増田朋美・郡山署長=周毅愷撮影

 この春、奈良県警で初めての女性署長が郡山署と高田署で誕生した。ともに1993年に採用され、県民と向き合いながら、職務に取り組んできた2人に、署長としての思いを聞いた。

遺体確認の現場、気づかされた「想像力」の大切さ

 男女の給与が同じ。昇任の機会は試験で平等に与えられる。警察に関するそんな内容のパンフレットを読んだことが、増田朋美さんが警察を志望した理由の一つだった。

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署員と談笑する増田朋美署長(左)=2025年4月23日午前11時17分、奈良県大和郡山市杉町、周毅愷撮影

 いざ仕事をすると、悔しい経験もした。交番勤務では当時、女性はバイクに乗ることも、拳銃を持つことも許されなかった。「男女で同じ勉強をして、同じ訓練をしているのに、どうして?」。モヤモヤとした思いが募った。

 その後、刑事課で勤務することに。ある日、列車にひかれて亡くなった息子を母親が確認する現場に立ち会った。

 損傷が激しく、家族の感情に配慮して、「確認は短時間で」と考えた。しかし、母親は安置された我が子の遺体を見ると、名前を叫びながら、駆け寄って抱きしめ続けた。自分が向き合う一人ひとりの背景はそれぞれ違う。目に見えない部分を想像する努力を怠ってはいけない。当たり前の事実に改めて気づかされた。

 結婚や出産を経た今、あの時の母親の気持ちが以前よりは分かるようになった。だからこそ「想像力」の大切さを今まで以上に痛感している。

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増田朋美署長=2025年4月23日午前11時8分、奈良県大和郡山市杉町、周毅愷撮影

 郡山署長に就き、署員たちに呼びかけたのは「楽しくやること」。もちろん、趣味やクラブ活動のように「楽しく」ではない。「職場内外に想像力を働かせて、階級を超えて考えを伝えられる」。そんな風通しの良い署を目指している。

「お姉ちゃん」、関わった生徒から15年後に届いた声

 岡澤敬子さんは警察官だった父親の影響を受けて同じ道を志した。採用された当時の呼称は「婦人警察官(婦警)」。交番には男性用のトイレや仮眠室しかなく、泊まりの勤務が許されなかった。夜間に現場へ真っ先に出動する機会が少なく、「経験が限られてしまった」と振り返る。

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署員と談笑する岡澤敬子署長=2025年4月22日午後4時30分、奈良県大和高田市神楽3丁目、周毅愷撮影

 20代は、未成年の子どもたちと向き合い続けた。シンナーや万引き、路上強盗など、検挙される少年は今の時代よりも多かった。それでも、非行に走る背景には何らかの理由があるはずだと考え、立ち直り支援に取り組んだ。打ち解けた女子生徒から「高校受験がんばる」と話してくれたこともあった。

 それから15年ほど経った頃、その女子生徒から突然、電話をもらった。「お姉ちゃん」と当時と変わらない呼び方で話しかけてくれ、「子ども3人おるねん」と伝えられた。環境を整えることで1%でも立ち直る人がいればという思いだっただけに、成長した様子が声で分かり、うれしさがこみ上げた。

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岡澤敬子署長=2025年4月22日午後4時20分、奈良県大和高田市神楽3丁目、周毅愷撮影

 階級が上がるにつれて、組織運営に携わる機会も増えた。本部の人身安全対策課では、県内のDV・ストーカーの相談を県警本部で24時間対応できる仕組みづくりも手がけた。一方で、市民と一対一で触れあう機会が減っている実感もあったという。

 4月に着任した高田署長。署員に伝えたのは「住民の目線に立つ」ことだ。市民と触れあい、向き合うことで感謝される喜びを多く経験してほしいと願う。

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岡澤敬子署長=2025年4月22日午後4時19分、奈良県大和高田市神楽3丁目、周毅愷撮影

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