今から80年前の小学校(当時は国民学校)では、子どもたちが毎日のように、校内の小さな建物に向かって頭を下げていた。建物の中には、天皇・皇后の写真である「御真影(ごしんえい)」と教育勅語の謄本が収められていた。
戦後は「軍国主義教育の象徴」として撤去されたとされる「奉安殿」が、香川県の小学校に残っていたことがわかった。
その建物は、三豊市高瀬町の市立麻小学校の体育館裏に、ひっそりと立っていた。ソテツなどの樹木が植えられた小さな庭にあり、遠目には、記者が学生時代を過ごした京都市の街角によくあるほこらのようだ。
麻地区戦没者遺族会の樋笠眞一会長(68)によると、旧麻村の住民が1935(昭和10)年に建てた奉安殿だという。アジア太平洋戦争の起点とされる満州事変の4年後にあたる。
90代女性「必ず最敬礼をした」
終戦時に麻国民学校(現麻小…