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玉城愛さん

 沖縄の女性たちは今も、米軍基地とフェンス一つ隔てて接する暮らしを強いられている。戦後80年、そして沖縄の米兵による1995年の少女暴行事件から30年。「この島の女性が置かれた状況は何も変わっていない」。沖縄の女性史を研究する玉城愛さんはそう語る。

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 ――沖縄の基地負担を、どう考えてきましたか。

 「大学1年生のとき、当時の知事だった仲井真弘多氏が、辺野古新基地建設埋め立ての承認をしました。地域住民だけではない沖縄の人々の怒りを感じ、何かをせずにはいられずに学生中心のグループを立ち上げました。映画の上映会や学園祭での展示などをして活動を続け、それ以来、安全保障や基地問題を通して社会問題に向き合ってきました」

 ――同じ世代は、どんな反応でしたか?

 「当時、東京のディズニーランドへ遊びに行こうと友だちに誘われたことがあります。私は同じ日に国会前で安保関連法に反対するデモに参加し、夕食だけ合流しました。友人たちは私の活動を揶揄(やゆ)したりせず、すごいね、とポジティブに受け止めてくれました」

 「半面、沖縄県外出身の学生の一部には、基地建設地の辺野古や高江で座り込みをする人たちを小馬鹿にするような人もいました。『沖縄の米軍基地は安全保障上必要。それが日本の世論だ』と私に言ってきた人もいます。そんな言葉を沖縄の人たちに吐き出せること自体が、やまとぅんちゅのおごりです」

 ――沖縄の女性が置かれた状況に視点が向いたのは何がきっかけですか。

 「2016年、大学4年生のときに、うるま市で当時20歳の女性が殺害された事件です。元海兵隊員の軍属が逮捕され、女性が遺体で見つかったというニュースを見た瞬間が記憶に刻み込まれています」

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