家族が犠牲になった妻の実家跡付近で、自身の車を見つけ涙を流す大間圭介さん。次男が使っていたチャイルドシートが残されていた=2025年1月1日午前10時49分、石川県珠洲市仁江町、金居達朗撮影

 昨年の能登半島地震で妻子4人を亡くした金沢市の大間圭介さん(42)が1日、地震後初めて、石川県珠洲市仁江町にある妻はる香さん(当時38)の実家の跡を訪れた。

 昨年の元日、家族5人で帰省していた。地震による土砂崩れに家屋が巻き込まれ、はる香さんと長女の優香さん(当時11)、長男の泰介さん(当時9)、次男の湊介(そうすけ)さん(当時3)が亡くなった。はる香さんの両親と祖父母、義理の姉を含め、新年を一緒に祝っていた親族9人が命を落とした。

 この1年、地震で土砂が崩れてきたときの様子が頭に残り、この場所に足を向けられなかったという。

  • 「ずっと思い出の中で生きていたい」願う夜 家族5人で暮らした家で

 この日は午前10時半ごろに到着。

 見上げると、青空が広がっていた。

 昨年の元日の夜、地震の後も、星がきらきらと輝いていたことを思い出した。

 土砂や流木が残る実家跡に、淡いピンクや青色の花も加えた花束を供えた。

 「本当に明るい家庭だったから、明るい花を手向けたい」と用意した。

 義父らが好んだビールや、子どもたちが好きだったポテトチップスも。

 手を合わせて、30秒間。

 「ただいま。ありがとう、ごめんね」

 家族5人で乗ってきた白いワンボックス車が、土砂にひしゃげたまま残っていた。後部座席に湊介さんのチャイルドシートも見えた。

 車に手を添え、車中で歌いながらやって来たことを思い出し、涙がほおを伝った。

 実家跡の裏山に、土砂が崩れた後が茶色く見える。「もう少し右にそれていてくれたら」と思う。

 家族の写真も持ってきた。

 「自分だけじゃなく家族も一緒に。来たくないかもしれないけれど、出かけるときはいつも持って出かけているので。家族と一緒に戻ってきたなという思いが強い」と話す。

 次はまた夏に、この場所に戻ってこようと考えているという。

 「残りの人生、家族の分まで、家族のやりたかったことをしてあげて、一日、一日、無駄にせず生きていけたら」

共有
Exit mobile version