「とても残念。悔しいの一言です」。申立人の一人、芦原康江さん(71)=松江市=は広島高裁松江支部前で声を震わせた。広島高裁松江支部は15日、島根原発2号機の運転を差し止める仮処分の申し立てを却下した。
始まりは、10代の頃に感じた疑問だった。
1970年、島根原発の建設工事が始まった。「夢のエネルギーがやってくる」。周りの人たちは喜びに沸いていた。
だが、芦原さんの目には違って見えた。
当時は学生。建設計画を伝える新聞の「原子力」という文字が「広島、長崎に落とされた『原子爆弾』と妙に重なった」と振り返る。
原発をめぐる学習会やシンポジウムに足しげく通った。いろいろなことを知った。使用済み核燃料の処分方法が決まっておらず、原発が「トイレなきマンション」と呼ばれていること。事故が起これば、原子炉内の放射性物質が飛散し、住民も被曝(ひばく)する可能性があること。
結婚し、2児の母となった…