鳥取市が復元整備を続けている国史跡・鳥取城跡で、まだ再建されていないのが城のシンボルだった二ノ丸の三階櫓(やぐら)だ。世界遺産・姫路城(兵庫県姫路市)の「弟城(おとうとじろ)」とも評されるその姿を再現し、一刻も早く県都のランドマークに――。市は整備計画を見直し、三階櫓の復元を早める検討を始めた。
戦国時代の山城を起源とする鳥取城は、その防御性の高さや眺めの良さから、天下統一を目指す織田信長も「名城」と評したとされる。信長の家臣だった羽柴(のちの豊臣)秀吉の兵糧攻めの舞台となり、江戸時代には鳥取藩32万石の居城になった。中世から近世までの多様な城の姿を残す城跡は、日本の城郭の歴史を物語る「城郭の博物館」とも言われる。
鳥取市教育委員会事務局の文化財課によると、山のふもとにある二ノ丸の建物は、姫路城主から鳥取藩に領地が替わった池田光政が整備した。光政の祖父は姫路城の大天守を築いた輝政。姫路城築城を担った職人たちが鳥取城二ノ丸の創建に関わったと考えられるという。山頂の天守が落雷で焼失後、二ノ丸三階櫓は城のシンボルとなった。
明治維新後、三階櫓を含む大半の建物が取り壊され、城跡は学校用地として転用されたり、公園が整備されたりした。1957年に国史跡に指定。市は2006年、城跡の保存・活用に向け、30年をかけて一帯を復元整備する計画を策定した。
計画は10年ごとの3期に分かれ、第1段階は城の正面玄関にあたる大手筋(登城路)を整備し、第2段階で二ノ丸三階櫓などを復元。第3段階は二ノ丸全体や内堀、土塀などの整備を進める内容だ。ただ、三ノ丸にある県立鳥取西高校の改築をめぐる議論の長期化や国の補助金の分配減などの影響で工事が遅れ、現時点で計画より15年ほど工期が延びているという。
そこで市は工期の短縮に向け、第1段階と並行して第2段階の整備を始めるなど計画全体の見直しを決定。第1段階のみで使う予定だった仮設の作業道路を活用して二ノ丸にも重機を入れ、三階櫓の復元を前倒しする検討を始めた。
工期が延びた間に、城の天守など現存しない歴史的建造物の再建について国が基準を緩和し、内部構造など一部の詳細が分からなくても整備可能となったことも追い風だ。
市教委文化財課の担当者は「城跡周辺の活性化は市政の大きなテーマのひとつ。二ノ丸三階櫓の復元への市民の要望も高まっている」と話す。担当職員の増員など体制の強化も検討するという。(富田祥広)