〈女の子だそうですね。名前は隆子とつけて下さい〉
浦島益重さんは妻の正子さんに、そんな手紙を出した。義兄からの便りで、娘が生まれたことを知ったからだ。
〈俺も一目見たいが、それはならず、はなはだ残念に思う〉
〈君は俺にとっては最大なる愛妻だった〉
〈ではこれにてしばらくのお別れします〉
益重さんは戦地へ向かう途中だった。1943(昭和18)年のことだ。
2年後の7月、益重さんはビルマ(現ミャンマー)戦線の戦闘で亡くなった。31歳だった。娘には、ただの一度も会うことなく――。
父の手紙、写真、ラッパ
「うちの母が『これ、大事なもん』とずっと言いよったけん」
今年7月、浦島隆子さんは1枚の手紙を見つめた。82年前、母が父から受け取った手紙だ。
「手紙とか、はがきとか、写…