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少年通信兵たちの名前が刻まれた銘板を見つめる浅田光雄さん=2025年3月29日午前6時51分、新潟県五泉市、山崎靖撮影

 終戦前、陸軍の養成学校を出たばかりだった10代の少年通信兵の多くが戦地に赴き、命を落とした。犠牲者は判明しているだけで812人。その全ての名前が刻まれた銘板が、かつて学校があった新潟県五泉市にある戦没通信兵の慰霊碑に設置された。

 銘板は、同市の市民らでつくる「慰霊碑を守る会」が戦後80年を機に作製した。朝鮮や樺太を含む全国にわたる出身地域別に名前が並ぶ。

 旧村松町(現五泉市)の「村松町史」などによると、戦時中の1943年10月、東京に続き全国で2カ所目となる村松陸軍少年通信兵学校が開校した。卒業後に幹部になれることもあり、各地から約800人が入校した。

 「守る会」会長の浅田光雄さん(75)の父、与三松(よさまつ)さんは村松校の教官だった。浅田さんによると、通信兵だった与三松さんは開校時に24歳で赴任し、訓練や生活指導などを担当した。

繰り上げ卒業の347人に起きた悲劇

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浅田与三松さん(前列右から3人目)。村松少年通信兵学校の解散時に生徒らと撮影した=1945年8月25日、浅田光雄さん提供

 与三松さんは、少年たちの様…

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