時川英之監督=広島市中区、上田潤撮影

 被爆80年の今年、広島を舞台に過去と現在が交錯する映画「惑星ラブソング」が上映されている。監督・脚本の時川英之さんは広島出身。「ヒロシマの原爆や平和を伝える難しさ」に葛藤しながら作品を生み出した過程で、見えたものとは。

 ――広島が舞台の映画「惑星ラブソング」が今年6月から全国公開されました。

 「お好み焼き屋のテレビで、作戦配備されている核兵器が3900発というニュースが流れる場面。これは現実の数字です。フィクションですが、核の危機は目の前にずっとあることを伝えたかった」

 「多くの人に見てもらえるように、映画として楽しめる内容で、かつ、広島の平和というものをきちんと感じてもらえる作品を作りたいと思いました。でも、ジレンマの連続でしたね」

 ――広島市で平和教育を受けて育ちました。

 「当時はまだ原爆にまつわる怖い話を周囲の人から聞くことが多く、広島平和記念資料館に行き、学校でも被爆者の方々から話を聞く機会があった。でもとても恐ろしい話で、子供ながら消化できませんでした」

 「僕の祖母は原爆投下時、呉の吉浦にいました。母を産んだばかりで、空を見たら、広島の上空に、ものすごい大きな雲が浮かんでいた。キノコ雲でした。この世の終わりが来たと思ったそうです」

 ――5作目で初めて平和がテーマの作品ですね。

 「今まで、平和を映画で描くのは荷が重いという思いがずっとありました。背中を押したのは、被爆80年というタイミングと、ウクライナ戦争かもしれません」

 「核を使うかもと思わせるプーチン大統領の脅しのような言葉を聞いた時、怒りがわくのを感じました。広島や長崎の人たちはずっと核兵器反対の活動をしてきたのに、あんなことを言わせていいのか。本当に核戦争になるかもしれないのに、と。それでも、その感情をどこまで表現していいか悩みました」

 ――なぜですか。

 「核廃絶は理想にすぎないと言う人もいます。それに対し、僕はやはり広島の人間なので、若い人にも核兵器の脅威を知ってほしくて、原爆被害や核兵器の基本的な情報を入れようと思ってしまう。最低限の現実は知ってほしいから」

 「でも脚本では、もうちょっと書こうと思う手前で止めました。『教育的』になり過ぎないように、そっと入れるだけにとどめた。平和教育のような映画は敬遠されて多くの人に広がらないのでは、という思いもあったからです」

 「それでも編集して見てみると、関係者たちから『織り込みすぎ』『教育映画のような感じがする』といった意見が出て、やっぱりそうかと、自分を引き戻す。知って欲しいとの思いが先走るんです」

 ――平和報道に携わる記者にも共通する悩みです。

 「広島の人は、こんなにむごかったと分かってほしいという思いが強く、核兵器の状況を伝えようとしすぎて、結果、伝わらないことがある。そこは、バランスに気をつけました」

 ――映画にはUFOも登場します。

 「『伝える』ために、違う大胆な提案をできないかと考えました。広島で今まで続いてきた平和活動は素晴らしい。それを否定せず、新しい方向を探りました。ただ脚本の時点で、平和活動に携わる人や被爆者に意見を聞きました。不謹慎と感じないか、年配の方に不快感はないか。広島で活動をされてきた方々が、何か違うと思わないように、やはり表現には気をつけたかった」

 ――皆さんの反応は。

 「思い切ってやりなさい、と言ってくれました。映画の意図はわかるから、今の時代は新しい表現方法があっていいし、今の自分たちの活動にもそれなりに手詰まりもあるから、と」

 ――広島以外の人の感想はどうですか?

 「それぞれ、平和についての距離が違うんですよね。原爆にあまり興味がなく教育映画みたいと受け取った東京の人もいれば、もっと平和のことを知りたいから少し食い足りなかったという人も。それでも、できるだけ多くの人の心を自然な形でつかまえられる方法を考えていかないと」

 「広島・長崎の有名なドキュメンタリー映画を作ったスティーブン・オカザキさんにも相談しました。難しいテーマや悲惨な物語は、入り口をあえて面白い展開やユーモアから始め、だんだんと本質に持っていくっていうことはできる、と話していました」

 ――作品では、半年後の世界の終末を示唆する場面も出てきます。

 「この話はフィクションですが、昨年ノーベル平和賞が被爆者に与えられたのも、世界終末時計が89秒になったのも、これと通じる危機感があると思います」

 「僕は核の専門家でも平和活動家でもないけれど、広島の人が思う『平和』というものはあって、それを映像にしたいとずっと思案してきました」

 ――その平和とは。

 「長く東京を拠点にしてきましたが、東日本大震災後に東北へ行き、そこで、被災住居に残されていた写真や、写真を洗って持ち主に返すボランティアたちを目にしました。でも、震災前から計画していた大作の映画が地震で止まってしまい、小さな作品でもいいから自由に作りたいと思い、広島に戻りました」

 「広島の街には、音楽が流れ踊る人々や、平和公園を訪れた外国人旅行者が真剣に考える姿があった。小学校の被爆樹木は今もそこにあり、子どもたちを見守っている。たぶん僕にとって、そんな楽しく優しい広島の街が『平和』だと思います」

 「ここは、悲しい歴史の上に多くの愛を積み重ねてできた街です。平和の価値を大切にする人々が住む、世界でも特別な広島の意味を伝えたいのです」

時川英之さん

 ときがわ・ひでゆき 1972年生まれ。映画監督。タイムリバーピクチャーズ社長。広島を拠点に「ラジオの恋」「シネマの天使」「鯉(こい)のはなシアター」「彼女は夢で踊る」など制作。広島の過去と現在、幻と現実が交錯する最新作「惑星ラブソング」は6月から各地で順次上映。

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