初めて父に会ったのは、小学2年のころだった。生活する児童養護施設で、「娘に会わせろ!」と職員の胸ぐらをつかんでいる男性がいた。それが、刑務所から出所してきたばかりの父だった。
物心ついたときには埼玉県にある児童養護施設にいた。知的障害のある一つ上の姉も一緒だった。
その後、週末ごとに河原にあるバラックのような父の家に姉と泊まりに行くようになった。性交を伴う性虐待が始まったのは、このときからだ。
性暴力を取材するなかで、東京都の40代の女性に出会いました。幼い頃から実父に性交を強いられ、10代で2人の子ども産んだといいます。女性の壮絶な証言に耳を傾け、社会ができることは何か考えたいと思います。(3回連載の1回目です)
- 【専門家たちに聞いた】性虐待 再発防止に私たちができることは
父の行為は、痛くていやだった。生活する児童養護施設の職員に相談しようか悩んだが、何をされているのかよく分からず、どう説明していいかも分からなかった。
小学5年生になる春に、姉とともに父に引き取られた。気乗りがしなかったが、姉は施設を出て父と一緒に暮らすことを強く望んだ。
都内で父と姉との3人の生活が始まった。父によると、母はがんを患い、私を出産して半年もしないうちに亡くなったという。
自宅では、食事づくりや掃除など家のことはほぼ一人でこなした。しかし、ふろや食事の用意が遅れるなど、少しでも気に入らないことがあると父は「ふざけるな!」などと激怒し、ドライバーやペンチでたたいてきた。ガラスの灰皿で頭を殴られたこともある。手足はいつも傷だらけだった。その傷痕は、いまも手足に残っている。
当時は、児童虐待防止法が制定される前の時代。虐待や性暴力に対する社会の認識はいまよりずっと低かった。
父と同居するようになったこ…