Smiley face
写真・図版
インタビューで、質問に答える岸田文雄前首相=2025年3月6日午後4時39分、東京・永田町、上田幸一撮影
  • 写真・図版
  • 写真・図版
  • 写真・図版
  • 写真・図版
  • 写真・図版
  • 写真・図版
  • 写真・図版

 故・宮沢喜一元首相の政治行動記録(日録)には、岸田文雄前首相の名前が85カ所登場する。宮沢氏以来となる宏池会(岸田派)の首相となった岸田氏に、加藤の乱などを通じた宮沢氏とのやりとりについて聞いた。インタビューは3月6日に実施した。

――宮沢喜一氏はどのような存在ですか。

 私は広島県(選出)であり、縁戚関係もあり、小さい頃から大きな存在だった。戦後の歴史を直接経験してきた数少ない日本の政治家で、経験と見識に裏付けられた政治をされた方だった。保守本流という言葉にふさわしい重厚な政治、これが宮沢政治の神髄ではないかと思っている。

  • 「共産と協同、宏池会の伝統に反す」 宮沢喜一氏が加藤の乱時にメモ

 一方で、欧米流の合理主義も持ち合わせていた。日本の政治は義理人情、情に訴える部分が大切にされるのは今でも変わらないかもしれないが、よく冷たいと、義理も人情もないとか言われるようなケースがあった。本人は極めて合理的にものを考え、こうあるべきだと決断し、行動した。それが日本的な情の政治の中では冷たく見えた。それが合理主義と言われる部分じゃないかと思う。

 ――岸田氏が最初に日録に登場するのは、88年12月9日、ご自身の結婚披露宴です。リクルート問題で蔵相を辞任した当日の夜ですが、2時間出席しています。宮沢氏の発言は覚えていますか。

 スピーチの中身まで記憶にない。でもやはり重厚で、あたたかみのあるごあいさつをいただいたというイメージだけは残っている。

――岸田氏の父・文武氏とも関係が深く、1984年に宮沢氏が暴漢に襲われた際も、文武氏が最初にお見舞いに訪れています。

 2人の関係を言葉で表せば、穏やかで、良識に基づいたお付き合いだったと思う。縁戚関係ということもあり、あたたかさ、信頼関係は確かにあった。宮沢政権誕生には私の父も大変強い熱意をもっていたし、ずいぶんと汗もかいた。そんな姿を見てきた。

 ――宮沢日録では、2000年11月の加藤の乱について、宮沢氏自身が詳細にメモをしています。加藤紘一氏が森喜朗内閣への不信任案に同調する動きが始まり、岸田氏は11月16日、大蔵省の大臣室で約30分間、会談している記録があります。不信任案に同調しないように、引き留められたのですか。

インタビュー動画も

記事後半では、岸田氏へのインタビュー動画をご覧になれます。宮沢氏との会談内容や、宏池会解散などについて語っています。

 いや、直接的な言葉で引き留…

共有