Smiley face

 岩手県出身の詩人・童話作家、宮沢賢治(1896~1933)の代表作「銀河鉄道の夜」について、「舞台は現在の北海道苫小牧市」との論考を北海道むかわ町の郷土史家、土井重男さん(80)がまとめた。旧制岩手県立花巻農学校の教諭時代、賢治は修学旅行の引率で苫小牧を訪ねた記録があり、「製紙業で早くから近代化された苫小牧に刺激を受けた」とみている。

 「銀河鉄道の夜」は1924(大正13)年ごろに初稿が書かれ、以後、賢治が亡くなる直前まで4度にわたる推敲(すいこう)や補作を加えたとされる。賢治研究の専門家や愛好者でつくる宮沢賢治学会イーハトーブセンター(岩手県花巻市)の会員でもある土井さんの研究などによると、31(昭和6)年ごろに改稿されたらしい第4稿は、第1~3章の「午后(ごご)の授業」「活版所」「家」が新たに書き加えられ、4章の「ケンタウル祭の夜」など一部が加筆され、当初の作品とは趣が異なるという。

写真・図版
宮沢賢治が苫小牧でのモチーフを詠んだとされる「牛」の詩碑=2025年5月8日午後1時36分、北海道苫小牧市旭町3丁目、松本英仁撮影

 4稿の改稿は賢治が亡くなる約1年半前で、両親ら親族に遺書を書いた時期とされる。苫小牧市やむかわ町では、郷土史家仲間ら愛好家たちが苫小牧での足跡をたどったり、町おこしに賢治の考え方を生かしたりする活動が以前から盛んで、土井さんもそうした活動に刺激を受けて賢治研究を始めたという。

 物語は、孤独な少年のジョバンニが、友人のカムパネルラと銀河鉄道で旅する内容。空想部分と当時の暮らしぶりなど実社会を描いた場面が調和している。これまでの賢治研究では最終稿とされ、2013年に埼玉県在住の女性研究家が、第3稿をもとに「苫小牧にあった軽便鉄道がモチーフ」との論文を出しているが、苫小牧舞台説は少数派という。土井さんは初めて第4稿を元に、地上世界を描いた舞台が苫小牧ではないかと探った。

■宮沢賢治は修学旅行の引率で…

共有