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 人生にはさまざまな決断がつきもの。こうした決断は心理学の分野で古くから研究が蓄積されてきました。

 前回は、以下の「意思決定プロセス(Decision-Making Process)」(Simon, 1955など)をご紹介し、注意欠如多動症(ADHD)の大人の中には、このステップをうまくたどれない人が多くいらっしゃることを説明しました。

意思決定の7ステップ

1. 問題の認識: 解決すべき問題や決定すべき事項を特定。

2. 情報収集: 決定に必要な情報を収集。

3. 選択肢の生成: 可能な選択肢や解決策を考え出す。

4. 評価と比較: 各選択肢の利点と欠点を評価し、比較。

5. 決定: 最適な選択肢を選ぶ。

6. 実行: 選んだ選択肢を実行。

7. 評価: 決定の結果を評価し、必要に応じて修正。

 今回は、家を買うべきかどうかで悩んでいるADHDの主婦リョウさんに登場していただきましょう。

  • 連載「上手に悩むとラクになる」

 リョウさんには、夫と小学5年生の娘がいます。現在は賃貸マンションに住んでいますが、手狭になってきました。娘も大きくなってきて、そろそろ自分の部屋が欲しいと言い出しました。

 リョウさんは今はパート勤務ですが、いつかは正社員になって家計を支えたいと思っています。夫は「今の会社で定年までいるかと思うとゾッとする。転職するなら40代のうちかな」と話しています。リョウさんと夫の実家はそれぞれ新幹線や飛行機を使っていく距離で、両親は元気ですが、もし介護が必要になった場合にはこの距離に苦労しそうです。

 そんなもろもろを考えていると、家のことは決断できずにいます。

不確定な要素が多すぎて…

 リョウ「この先の人生が何にも決まってないなあ。娘が中学受験するかしないかだって、まだ決められないし。家を娘のために広くしたところで、いつまでここで同居なのかもわからないし。私だってどこで働くかわからないし。夫だって今の職場に何年いるかわからない。両親だって……はあ。考えることが多すぎて嫌になる」

 不確定要素が多すぎて、これは大変な意思決定ですね。

 意思決定プロセスの通り進めるとしても、難航しそうなのは「選択肢が無数にあること」「決める基準の決定が難しいこと」の部分ではないでしょうか。

 リョウ「さらに難しいのは、娘の進学先によって学費が変わるし、私や夫がどんなふうに働くかによって収入が変わるし。そうした経済状況によって、どのぐらいの家が購入できるかが変わること」

 そうなんですよね。決定する要素同士が影響し合っているから、余計に単体で決断できないのですよね。

 ・住むエリアが勤務先や進学先に依存する

 ・進学先や勤務先で資産状況が変わる

 ・資産状況で家の購入条件が変わる

 ・親の健康状態も影響する

 右肩上がりの時代は終わり、終身雇用は崩壊しつつあり、不確定要素はますます増えましたから、リョウさん世代がこれだけ混乱するのも無理はありません。

 こうした場合の意思決定のポイントは、

1. 価値に沿って、

2. 時間的に近いものから、

3. 生起確率の高いものから、

決断していくのがいいのです。

 リョウさんの場合を見ていきます。

1.価値に沿って

 リョウさん一家にとって、仕事、進学、お金、親のこと、どれもがリンクしていて、大事な要素です。しかし、これらに「優先順位」をつけるとしたら、どうなるのでしょう。自分が人生で何を大事にしていきたいか、すぐに答えられますか? これを「価値」と呼びます。これについて一家で明確にしておくと意思決定がうまくいきます。

 リョウさんの家族はこんな価値を持っていました。

 夫「正直いうと自分の働きがいもけっこう大事な要素で、ある程度好きな仕事じゃないと続かない。でも、もっと優先したいのは娘の進学かな。進学を経済的理由で断念して欲しくないから、娘のためなら、多少やりがいを失っても給料がいい仕事を選ぼうと思う」

 リョウ「私の地元は田舎で、正直そこで仕事を見つけるのは無理だから、もし親が介護ってなっても地元に戻って同居という選択肢は難しいなあ。そうなると親のことはあまり住む場所に影響しないから、優先順位は低いかな」

 家庭によっては、「親の仕事中心に決断して、子どもはその経済状況の中で選択していってもらう、いわゆる子どもは自立派」もあるでしょう。

2.時間的に近いものから

 時間軸に沿って並べてみると、決断すべき順番がわかるでしょう。

 しかし、時間軸だけを決断の基準にすることは危険です。人生の後半のイベントに価値を置く人で、かつそこまでに長期的な準備が必要である場合、そこから逆算して今からできることをしておくべきだからです。そのために、最初のステップはやはり「価値(何を人生で重視するか)」を先に明らかにしておく必要があるのですね。

 時間軸に沿って並べてみるとこうなります。

写真・図版
家族のイベントを時間軸で見て、優先順位を考える=イラスト・中島美鈴

 まずは再来年から、娘が中学生になるタイミングで正社員になりたいリョウさん。その5年後あたりに娘が進学先を決める時期があり、その頃ぐらいまでが夫も転職する・しないを決める期間でしょう。親の年齢を考えると、おそらく10年後ぐらいが介護などの問題が生じてくる時期でしょう。時間軸で並べてみると、少しずつ決断していくといいことがわかりました。

3. 生起確率の高いものから

 リョウさんは、自分の仕事のことが直近の決断であることを知ると、急にブルーになりました。というのも、介護福祉分野で働く友達から日々いろんなことを聞いていたので、親の介護のことが心配でたまらないのです。

 リョウ「どうしよう。うちは妹があんなふうだから当てにならないし。ここから実家まで往復しながら介護とかしてたら、正社員でなんて働けないよ。体力ももたないし……」

 こういうときには、そのイベントの起こる確率(生起確率)を考えてみるとよさそうです。

 人はいつか必ず死ぬものですから、その確率は100%ではあります。しかしそれが今日事故に遭って亡くなるかもしれないし、明日重い病気がみつかるかもしれないし、考え出すと、「今なら確実に生きていて働けます!」と100%保証できる時間や時期はありません。100%大丈夫な選択はできないのです。

 つまり、リスクを許容しながら最善の意思決定をしていかざるを得ないのです。反対に言えば、保険という商品が成り立つのは、人が若い時期に亡くなったり、介護が必要になったりする確率が低いからです。限りなくゼロに近い確率におびえていては、何も意思決定できません。

 リョウ「そうね。そうね。私だって明日生きられるかなんてわからないかあ」

 以上のようなことを話し合いながら、夫は思いついたように言いました。

 夫「こうやって話していくと気づけたよ。俺たちにとって、家って実は住む場所を固定されて、収入も増やさなくちゃいけない『不自由さ』なのかも。教育や働くことを自由に決めたいんだよね、家より。家に縛られず、自由にいたい。それが価値なんだ」

 これにはリョウさんも全く同感でした。

 リョウ「こうやって話し合って初めて、家がどうこうより、自分の仕事をどうするかが先なんだってわかった」

 方向性が定まったようですね。

 このお話は次回も続きます。

〈臨床心理士・中島美鈴〉

 1978年生まれ、福岡在住の臨床心理士。専門は認知行動療法。肥前精神医療センター、東京大学大学院総合文化研究科、福岡大学人文学部、福岡県職員相談室などを経て、現在は九州大学大学院人間環境学府にて成人ADHDの集団認知行動療法の研究に携わる。

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 このコラムでご紹介したADHDについてもっとご存じになりたい方は、筆者の著書「もしかして、私大人のADHD?」(光文社新書)をお読みください。

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