連載「もうひとつのやまゆり園」③
古くて、ひと気のない施設。
入所者の部屋にはポータブルトイレが置かれ、その臭いが漂うなかで食事を取っていた。入所者が投げつけた便が天井にこびりついたままの部屋もあった。
入所者が部屋から出るときは、ほかの入所者が視界に入らないよう職員がついたてでふさいでいた――。
神奈川県立障害者施設「中井やまゆり園」(中井町)の外部アドバイザーを務める社会福祉法人グリーン(横浜市青葉区)理事長の中西晴之さん(68)は3年前、初めて園を訪れたときにこう思った。
「40年前と同じだ」
中西さんは40年以上、障害福祉の仕事に携わっている。
キャリアをスタートさせた1981年は、国連が「国際障害者年」と定め、ノーマライゼーションという言葉も提唱された。障害者を排除せずに誰もが暮らせる社会にするという考え方だ。
だが、当時はまだ、「精神薄弱」という言葉が使われていた。
最初に勤めた障害者施設では、職員が入所者の髪をバリカンで刈り上げ、服も買っていた。入所者は外出することがないので、傘が必要ないほどだった。
当時の景色と、園の姿とが重なって見えた。
関連ページ やまゆり園事件
神奈川県は、七つある県立障害者施設のうちの四つに県の花の名を冠し、「やまゆり園」と名づけている。その一つ、津久井やまゆり園(相模原市)で2016年、入所者19人が殺害される事件が起きた。同園を調べる中で、中井やまゆり園でも虐待を含む不適切な支援が行われていたことが発覚。県立の施設で、なぜ障害者を「人間として見ない」支援が横行していたのか。「もうひとつのやまゆり園」を取材した。(連載「もうひとつのやまゆり園」(全7回)はこのページに掲載します)
怒られ、褒められ、我慢して
中西さんはその後、1998…