小田原城の御用米曲輪(ごようまいくるわ)跡で、江戸時代前期の寛永小田原地震による地割れが見つかった。神奈川県小田原市が史跡整備のため、6月から行っている発掘調査で、地表から1・6メートルほど掘り下げたところで地割れの跡が10本以上見つかり、一緒に出土した陶磁器などから時期が特定された。
これまでに見つかった範囲では、もっとも大きな地割れは長さ14メートル、幅7センチ、深さ8センチ。地震の後に整地をせず埋めたため、跡が残ったらしい。
寛永小田原地震は1633(寛永10)年に相模、伊豆地方を襲った大地震。小田原城下は壊滅的被害を受け、藩士だけでも237人が亡くなったとされる。
復興の際に大手門や寺院が移転するなど町割りが大きく変更された。これが今の市街地の原型になっており、市では今回の発見は小田原の歴史を考えるうえで大変重要だとしている。
地割れは記録に残した後、より下層にある後北条氏時代の遺構を調べるため、掘り崩すことになっている。(清水敬久)