江國香織さんに聞く②
直木賞作家の江國香織さん(60)は20代のころ、子ども向けの文芸誌に小説を応募しては、その賞金で旅に出た。小説家として生きる覚悟ができたのは、瀬戸内寂聴さんの言葉が大きかった。2021年に99歳で亡くなった寂聴さんの思い出を聞いた。
- 連載「寂聴 愛された日々」の第1回「秘書の瀬尾まなほさんが語る 寂聴さんのおちゃめで好奇心旺盛な日常」はこちら
- 連載「寂聴 愛された日々」のまとめはこちら
――寂聴さんの小説を読んだのはいつですか。
中学生ぐらいかな。父が担当編集者だったので、家にはたくさんの本がありました。寂聴さんの全集もあり、そこから拾い読みしたのが最初です。
寂聴さんの小説はどれも、タイトルがイメージを喚起させてくれます。色あざやかなタイトルが多い。それに読後感が強いですよね。特に初期の作品はどれも主人公が独特で、子どもにとってはちょっとこわいような印象が残っています。
だいぶ経ってからの小説も思い出深いです。「いよよ華やぐ」(1999年)は強烈さがありながら、もう少し軽やかにというのかな。ぶつけるような書きぶりではなく、優雅な手法にまで昇華された感じがします。
山のようにご馳走になったアユ
――寂聴さんに初めて会ったのは、いつですか。
短大生のときです。学校の文学研修旅行で京都に行きました。自由時間はどうしようかなあ、と行く前に父と話していたら「寂聴さんのところに行ってみたら」と勧められました。父が寂聴さんに聞くと、「遊びにいらっしゃいよ」とおっしゃってくださったので1人で寂庵(じゃくあん)にお邪魔しました。
寂庵の近くにある創業何百年というお料理屋さんに連れていってくださり、信じられない量のアユを頂きました。
「この子、いっぱい食べるから、もっと焼いて、もっと焼いて」って。「いやあ、もう入りません」と言っても「もっと焼いて、もっと焼いて」って止まりません。山のように食べました。
――どんな話をしたのですか。
父の話や、書くことについてです。短大は国文科でしたし、直近に読んだ寂聴さんの小説の感想をお伝えしました。
そのとき、まだ気持ちが定まっていたわけではなかったのですが、「いつか物を書く仕事に就きたい」と相談したら、「小説家になるなら、ストリップする度胸が必要なのよ」とおっしゃったのを覚えています。
小説において自分を隠せない
――ストリップですか?
きちんと小説を書いたら、自分自身をさらけ出すことになる。小説において、自分を隠すことはできない。そういう意味だと解釈しています。
ただ、自分のことを書こうとしているわけではないので、なぜストリップする度胸が必要なのか、19歳の私には、まだピンときていなかったですね。
――作家になろうと思ったのはいつですか。
書くことは好きで、小学生ぐらいから物語を書いていました。でも、作家になろうとは思ってなかったですし、短大を卒業しても就職はせずに、英語を勉強しようと専門学校に行きました。映画に字幕をつける人になりたかったんです。
児童書の本屋さんでアルバイトもしました。その本屋さんで、児童文学誌「びわの実学校」や子ども向け雑誌への作品募集がけっこうあることを知って、児童小説を書き、応募しました。10万円や30万円の賞金を頂き、旅に出ていました。
――その作品を寂聴さんが読んでいたのですか。
第1回フェミナ賞を受賞した江國さんに、寂聴さんが励ましの言葉をかけたそうです。そのときの様子を聞きました。
父が話しちゃったのだと思い…