【連載】最後の空襲#1
1945年8月14日。
【15:42】米軍の爆撃機B29が、太平洋の基地を次々と離陸した。《玉音放送まで残り20時間18分》
東京まで約1200キロの硫黄島付近で、一部は秋田へのルートを取った。
約1時間後に離陸した別のB29は、千葉・銚子沖から内陸に入り、攻撃目標へ向かう。
【23:00】日本はポツダム宣言の受諾を打電した。《玉音放送まで残り13時間》
だが、B29は引き返さない。
【23:42】埼玉県や群馬県へと飛ぶB29の乗員たちの眼下に、真っ暗な日本本土が広がっていた。
【23:48】秋田市の土崎地区。B29が製油所に爆弾を落とし始めた。
「空襲だ!」。誰かの大きな叫びが、真っ暗な家の中にも届いた。
4歳の幼稚園児だった伊藤津紀子さん(84)は、お盆にあわせて疎開先から港近くの自宅に帰っていた。
祖父に手を引かれ、自宅を出た。道路の反対側にある畑の防空壕(ごう)に入ろうとした瞬間だった。
1945年8月15日。降伏が決まっていたのに、失われた命がありました。当時の子どもたちは、何を見たのか。人々は空襲をどう伝えてきたのか。全4回の1回目。【】は、米国の報告書などを基にした時刻です。
ピカッ。朱色の光が目に飛び…