かつての里山には、荒れた「はげ山」が広がっていた。
燃料に、資材に、肥料にと、樹木や落ち葉が使われ、植生の乏しい山が各地で当たり前だった。なかでも、人里近くで花崗岩(かこうがん)や新しい時代の地層が分布する地域に、はげ山が目立った。
六甲山(兵庫)や田上山(たなかみやま)(滋賀)がその例だ。花崗岩は風化すると、砂状になって削られやすくなる。森林と土壌を失えば、大雨のたびに侵食され、流れ出す。この大量の土砂は下流に天井川をつくり、治水上もやっかいな存在だった。
明治以降、斜面の工事や植林が進んだ。生活やエネルギー源も変化し、山は緑を取り戻した。しかし侵食が収まっても、下流への影響は思いのほか長く続いていたらしい。
その時間差は60年以上で…