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クリスマス用のケーキを試作する在りし日の亀山弘能さん=2024年12月2日、岩手県釜石市、東野真和撮影
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 盛岡市や岩手県釜石市で洋菓子店を経営し、多くの弟子を育てたパティシエ・亀山弘能(ひろのり)(本名・弘則)さんが23日、食道がんのため盛岡市の病院で亡くなった。71歳だった。葬儀は近親者で行った。遺骨は本人の希望で海に散骨される。

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 1954年、釜石市生まれ。大阪でプロのトランペッターとして活動していたが、23歳の時に洋菓子店を営む父の望みで釜石市に戻り、菓子作りを学んだ。5年後に上京。洋菓子研究家の今田美奈子氏に認められ、東京・日本橋三越のティールームを任された。

 以後、持病のぜんそくがきっかけで研究した小麦粉が少なめのケーキなど、独自のレシピを開発。料理教室の講師をしたり、オープン前の他店に呼ばれてメニュー作りをしたりした。

 88年、盛岡市で洋菓子店「アンナ・マリー」を開店。2010年に閉店するまで16人のパティシエを育てた。その傍ら音楽関係者に頼まれ、公演に来たリンゴ・スターさんや小田和正さんなど、数多くの有名ミュージシャンにケーキを届けた。中でもピアニストの故・フジコ・ヘミングさんからは公演の前に直接連絡が来て、ピアノを模したチョコレートケーキなどを作る仲だった。

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 東日本大震災で父が営む2店のうち1店が消失。病気の父を継いで残りの1店で営業を続けた。名物のロールケーキやキューブ型のチョコレートなどで復興に向かう住民を洋菓子で元気づけた。

 昨秋、30年以上前に寛解した食道がんが再発。病をおして営業を続けていたが、今春に「無期限休業」の貼り紙をして入院していた。最期をみとった長女の櫻子(ようこ)さんは「洋菓子の味も人を笑顔にしたいという思いも本物でした」と話している。

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