岩手県宮古市の山本正徳市長(69)は6月の市長選に立候補せず、4期で引退する意向を明らかにしている。2009年に初当選し、2年後に東日本大震災が発生。復興に追われる日々だった。山本氏の引退で、震災時に首長を務めていた人が沿岸12市町村からいなくなる。過疎が進む沿岸部の復興に向け、16年を振り返り、提言を語った。
――1期目に震災がありました。
感覚的には1年で3、4年分の仕事をした感じがあった。災害があってもなくても、状況からすると、沿岸は人口が減り、海に関する産業が昔に比べて低迷していた。そこに震災が重なった。
――震災で沿岸の人口減少が加速しました。
私は津波被害がひどかった(宮古市の)田老生まれ田老育ち。田老は明治29(1896)年と昭和8(1933)年に津波に襲われたが、住民は「自分たちのまちをもう一度つくるんだ」という気構えで再建した。今回もみんなでやればいいと思ったが、平成はそうではなかった。そこは読み違えた。田老を離れて家を建てる人がたくさんいる。職員にもいる。自分が子どものころは宮古の中心部にいくのは都会にいくような気分だったが、今は車ですぐだ。
切羽詰まってから人口減少について対策を考えるのではなく、もっと前から考えておくべきだった。震災があって、大きい台風も来て、そこで詰まってしまった。温暖化でサケが戻らなくなり、サンマもとれなくなってしまった。自分も含めて対応が遅かった。
――震災時に首長だった人が沿岸部からいなくなります。
宮古に住んだ若い人たちが居心地よいと感じるような環境を整えないといけない。今の宮古にはそれが足りない。自分を含めた年寄りがいくら正論を吐いても、人は寄ってこない。そのためには若いリーダーが必要。私も若い人にバトンタッチしたい。
震災復興だけじゃなく、いつでも課題はある。どの時代でも誰がやってもある。持続可能な街をつくるためには、若い人が中心となって取り組むべきだ。農業でも水産業でも、若い人が中心となって担えば、スムーズに進むこともある。
――対策はありますか。
空き地があると、何をやっているのだと批判されるが、マイナスとは限らない。その場所を使い、我々が考えつかないようなことをやる若い人が出てくるかもしれない。空き地はいっぱいあるから、可能性はある。
人口は増やせなくても、ジオパークやクルーズ船など、外からどんどん人を受け入れて関係人口を増やしていくことが大切だ。岩手にもこんなところがある、と外の人に認知してもらうことで、また、一緒にやろうという人が出てくると思う。
現状は情報発信を含めて全然足りていない。いろいろやっても、知ってもらわないと意味がない。沿岸の魅力を知ってもらい、何回も足を運んでもらう。どんなものが望まれているのか、リサーチも必要だ。
1955年、岩手県宮古市田老生まれ。盛岡一高、岩手医科大歯学科を卒業後、宮古市で歯科医院を開業。市教育委員長などを務め、2009年の市長選で初当選し、4期目。震災の津波で自宅は全壊した。被災直後、防災無線で「宮古市は必ずや復興します」と連日呼び掛けた。25年3月まで岩手県市長会長。
大震災で市内の死者は517人にのぼった。建物被害は9088棟で、全壊は5968棟。(2012年11月、同市まとめ)