政権発足から約3年。さらなる長期政権を見据えていた岸田文雄首相は、戦後歴代8位の在任日数で退任となる。政権は何を成し遂げ、何を道半ばで終えるのか。自民党統治、外交・安全保障、経済の視点から検証する。
自民党総裁選が目前に迫っていた3年前の8月。岸田文雄氏はいち早く立候補を表明することで、当時の首相・菅義偉氏の機先を制し、トップの座を射止めた。だが、振り返れば2人は同じ悩みを抱えていたように映る。党内基盤の弱さだ。
菅氏は無派閥から首相に上り詰めた。岸田首相も、就任時は50人に満たない第5派閥「宏池会(岸田派)」の領袖(りょうしゅう)に過ぎない存在。首相は他派閥を率いる麻生太郎副総裁、茂木敏充幹事長との「三頭政治」を軸に、最大派閥「清和政策研究会(安倍派)」のトップ・安倍晋三元首相との近い関係も生かしたバランスの上に立つ統治体制を築いた。
2022年7月、安倍氏が参院選の演説中に銃撃され、死亡。党内力学が変化する可能性も出たが、首相は萩生田光一氏ら安倍派の幹部を要職に起用し続けることでパワーバランスを維持した。
その政権運営に決定的な打撃…