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 日米安全保障条約の改定交渉は1959年8月22日、首相・岸信介の意を受けた外相・藤山愛一郎から駐日大使マッカーサーへの提案を機に、密約策定へと動き出した。

 米軍が日本防衛以外で日本から出撃する際の事前協議制度を設けようとする岸に対し、マッカーサーは朝鮮半島有事では応じられないと主張。そこで藤山はこう提案した。新条約とセットの交換公文で、日本政府は朝鮮半島有事の際に「同意を好意的に考慮する」と表明。その上で、発効後の新条約の下で開かれる協議機関の初会合で、朝鮮半島有事は事前協議の例外だと前もって確認することにしよう――。

 表と裏を使い分ける複雑な提案をめぐり交渉が続く中、日本では安保条約改定への批判が強まる。妥結を急いだ岸が明確な密約の提案に踏み切る経緯が、米側の交渉記録からわかる。

写真・図版
1959年11月28日の日米安保条約改定交渉に関する米公文書。首相の岸の提案として外相の藤山が示した、朝鮮半島有事に関する「秘密の合意議事録」案が記されている。信夫隆司・日本大学名誉教授が米国立公文書館で確認した。

首相・岸信介の密約

 日米同盟の原点、1960年の日米安全保障条約改定。その際に交わされた朝鮮半島有事対応に関する密約を、首相・岸信介が主導していたことがわかりました。日本側に欠落する交渉記録が米国立公文書館にありました。信夫隆司・日本大学名誉教授が確認し、朝日新聞に提供した米側の「朝鮮有事密約文書」30数点をもとに、連載で検証します。

 マッカーサーから国務長官ハ…

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