アイドルグループ「嵐」が、来春のコンサートツアーをもって活動を終了すると発表した。FRIDAYデジタルで「欲望のジャニーズ論」を連載中のアイドル評論家・中森明夫さんは、嵐の活動終了にジャニーズ文化の〝終わり〟をみる。テレビが最後の輝きを放った時代を駆け抜けた嵐は、最後の「国民的アイドルグループ」になるのか。中森さんに聞いた。
- 「嵐」が来年春に活動終了へ 最後のツアーに向けて休止から再始動
待ち続けたファンへの「けじめ」
――嵐が大きな決断をしました。
すでに2020年末でグループとしての活動を休止していたとはいえ、やはり大きな意味があると思います。最後にコンサートツアーを行うということは重要です。SMAPはツアーなどをすることもなく、解散に至った。
――ファンはもちろん、社会全体に衝撃を与えましたね。
同じような事態を避けようという思いがあったはずです。タッキー&翼や少年隊も、ファンにメンバーがそろった姿を見せることなく活動がなくなっていました。
もちろん、グループとしての活動の継続を望んでいたファンの思いは複雑でしょう。一方で、休止したまま、なし崩しで終わってしまうのではないか、という不安もあったはずです。
この4年半の間にコロナ禍があり、活動休止前のコンサートは無観客になってしまった。そして、ジャニー喜多川氏の性加害問題が表面化して、ジャニーズ事務所は、被害者への補償に専念するSMILE-UP(スマイルアップ)と、マネジメント業務を引き継いだSTARTO ENTERTAINMENT(スタートエンターテイメント)に分裂。ジャニーズという名前は消滅しました。嵐もメンバーの一部はすでに事務所を離れている。
しかし、この間もファンはファンクラブ会費を払い続けていたわけです。その思いに応えるためにも、このままでは終われなかったでしょう。きっちりけじめをつけるという意思表示と受け止めました。
SMAPの作った道をスポーツカーで
――アイドル史での位置づけとしてはどうでしょうか。
やはり、先行者としてのSMAP抜きには語れません。SMAPは、最初から人気があったわけではなく、試行錯誤の末に、バラエティー路線を始め、それまでのジャニーズアイドルがやらなかったような道を切り開いた。見ていた側も、最初はSMAPが何をしようとしているのか、よくわかりませんでしたが、徐々に形が出来ていった。
1990年代半ば以降は、SMAPが作ったメソッドと事務所の勢いに乗ってたくさんのグループが人気を得ていきました。なかでも、そのメソッドを踏襲していちばん成功したのが嵐だった、ということは間違いありません。もちろん、後続のグループは他にもいたわけで、誰もが成功するわけではない。華やかなスター性のある松本潤さん、俳優としてクリント・イーストウッドの映画に出演した二宮和也さん、報道番組の司会も任される桜井翔さん、親しみやすい相葉雅紀さん、そして独特の雰囲気とアート志向を持つ大野智さんと、メンバーの才能も豊かだった。
もっとも、嵐はスタートから違う。SMAPが切り開いてローラーをかけた道を、スポーツカーで登場し、さっそうと駆け抜けたイメージといえばいいでしょうか。なにしろ、99年9月のデビュー記者会見は、いきなりハワイですよ。
その翌月から週刊文春によるジャニー喜多川氏の性加害を含む特集記事が掲載されていく。その後、名誉毀損(きそん)訴訟となり、03年の東京高裁判決は「セクハラ行為」が真実だと認め、最高裁もこの判決を維持した。それでも、各局は報道せず、起用が止まることもなかった。SMAPに続き嵐という人気グループが生まれたことで、テレビ局はいよいよジャニーズの力に屈していきました。
成功しすぎたがゆえに
――実際、テレビ各局は、ジ…