現場へ! 朝鮮通信使にかける夢(4)
大阪・夢洲で開催中の大阪・関西万博に合わせ、朝鮮通信使の「復元船」が5月、韓国・釜山から当時のルートをたどって大阪港に入港した。
その数日後、日韓の通信使関係者約60人が、淀川に面した大阪市の十三(じゅうそう)船着き場に集合した。通信使は、川御座(かわござ)船で淀川をさかのぼり、京都に向かった。そのルートを観光用の川船で再現する初めての試みだった。河口から約10キロ上流にある淀川大堰(おおぜき)に、水位を調整する閘門(こうもん)が3月に完成し、上流への通行が約半世紀ぶりに可能になったのだ。
ソウル歴史博物館の特別展に「川御座船図」を出展した大阪歴史博物館館長の大澤研一(63)は、船の前方に立ったまま、水面からの眺めを興味深く見つめていた。
水深1メートルの浅瀬もあり、先行船がさお竹で深さを測りながら、ルートを探る。コンクリート護岸がないところでは、当時と変わらない光景が広がる。大澤は「枚方(ひらかた)より上流は、かなり水深が浅く、川底の浚渫(しゅんせつ)が必要だった当時の淀川と、迎える日本側の苦労を追体験できた」と話す。
まるでタイムカプセルのよう
韓国の朝鮮通信使学会長で釜…