Smiley face
写真・図版
中国山地に近い谷あいで生まれ育ち、今も暮らす前田昭博さん=鳥取市河原町、田中彰撮影

工芸の郷をたずねて~鳥取・西郷~ 第1回

 陶芸家をめざして情熱はあったが、道筋が見えてこない。1977年。不安な気持ちを抱えたまま、大阪芸大を卒業したばかりの前田昭博さん(70)を迎え入れてくれたのは、鳥取市河原町の実家だった。

工芸の郷(さと)として地域の活性化を進める鳥取市河原町の西郷地区。白磁で重要無形文化財保持者(人間国宝)の前田昭博さんを軸に、陶芸や木工、ガラス工芸などの作家や職人が集っています。それぞれのストーリーを描きます。

 中国山地から下ってきた千代川が川幅を広げる流域に町は開けている。前田さんの実家のある西郷地区はその支流沿いにあり、かつては西郷村といった。

 祖父は梨農家。あたりで20世紀梨の栽培がまだ広まっていなかった昭和初期から熱心に取り組んできた。梨を大八車に積んで鳥取市の市場に運び、財を成した。

 前田さんはあけてもらった畑の一角に窯小屋を建て、納屋の半分を工房にした。

 祖父は表立って反対はしない。でも「土まみれのあんな仕事で大丈夫だろうか」と周りに漏らしているのを伝え聞いた。芸大に送り出してくれた小学校教師の父にしても、「卒業したら教員か学芸員になってくれるもの」と思っていた。

 芸大で初めてろくろに触れた。同級生には陶芸家の子弟もいて、その差は歴然。皿がひけるようになったら、次はつぼと目標をたてた。

 卒業制作で白磁に取り組んで壁にぶつかった。粘土と異なり、石の成分が主体の磁器土は粒子が細かくて、上に伸びない。水をつければ、ぶよぶよになって、形がくねくねしてしまう。

 実習室のろくろは学生2人に1台の割り当て。空いているろくろを探して日々、向き合っている前田さんの姿が一人の教員の目にとまった。

 冨士原恒宣(つねのぶ)さんといい、近代陶芸の先駆者・富本憲吉の弟子だ。革ジャンパーにひげ面の一見こわもての先生に気に入られた。

 作陶技術もさることながら、将来への不安の方が大きかった。陶芸は家業でもないし、収入の保証があるわけでもない。冨士原先生に「迷っている」と打ち明けた。

 「好きなことがあるなら、やれるところまでやってみろ。やらないうちにあきらめるな。ダメだったら、また考えればいい。それでも遅くはない」

 恩師の教えが胸に染み込んだ。

 心細い船出の中、手ごたえもあった。卒業直前に鳥取市内で開いた初の個展が好評だった。大学の実習室で焼いた作品35点を出したところ完売。知人や親類の後押しもあってだが、独立資金の一部を捻出できた。

 卒業まもなくの77年秋にも開催したら、来た人に「次を楽しみにしている」と励まされた。

 「1年やって、いい仕事ができなければ、その時やめればいい」。覚悟を決めて、1年ずつ先へ先へとつないだ。

(連載は元朝日新聞記者でフリーライターの田中彰が担当します)

共有