現場へ! 朝鮮通信使にかける夢(3)
大阪府富田林市にある美具久留御魂(みぐくるみたま)神社の下拝殿から4月、朝鮮通信使の絵馬が慎重に下ろされた。縦98センチ、横189センチの木製で、元禄8(1695)年に奉納された。淀川をさかのぼる川御座(かわござ)船が3隻ずつ上下2段に描かれている。韓国のソウル歴史博物館で開かれた特別展のため、初めて国外に出た。
特別展の目玉作品の由来は長年、忘れられていたが、在野の研究者で通信使に関する資料や美術品の収集、調査に当たった辛基秀(シンギス)(1931~2002)が1984年に「発見」した。淀川から離れた地域でも民衆の間で、通信使への高い関心があったことを示す作品だ。
辛は、慶尚南道で生まれ、生後まもなく両親と京都に渡った在日コリアン2世。映像作家としても活動し、社会派の映画監督大島渚(なぎさ)らとも交流した。日本の植民地支配や戦後処理のあり方に鋭い視点を持ち、戦前の在日朝鮮人の足跡を描いた映画「解放の日まで」などの作品がある。
辛は50年代、図書館で手に取った本で朝鮮通信使の史実を知る。豊臣秀吉による朝鮮侵略の後、10年を経ずして国交が回復し、善隣友好のシンボルとなった通信使による外交は、未解決の問題や次世代への偏見・差別を残した第2次世界大戦後の戦後処理とは大きく異なるものだった。その後、全国各地の寺社や旧家を訪ねて資料を集め、埋もれた歴史に光を当てていく。
「大学の先生でなく辛さんだから」
今回、特別展の実現に奔走し…