陜川原爆資料館。被爆証言や被爆地から収集された瓦などが展示されている=2024年12月27日午後0時44分、韓国・慶尚南道陜川郡、魚住あかり撮影

 「自分たちの存在を知ってもらう機会に」。日本で被爆した「在韓被爆者」らは、日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)のノーベル平和賞受賞に望みをかけた。昨年12月の授賞式には韓国から被爆者や2世も参加し、世界に向けて苦しみの歴史を訴えた。ただ、韓国社会で被爆の記憶を継承し、広めていくには課題も多い。

  • 「植民地支配終わらせた原爆」の声も 被団協ノーベル平和賞に韓国は

 韓国・釜山から車で2時間ほどの山あいにある慶尚南道陜川(ハプチョン)郡。日本の植民地支配で困窮した住民が職を求めて広島へ移り住み、被爆した。その後に帰国した被爆者が今も多く暮らし、「韓国のヒロシマ」と呼ばれる。

 その陜川郡に2017年、被爆者らの働きかけによって小さな原爆資料館が開館した。展示室は15分ほどで1周できる広さ。被爆者の証言動画や被爆後の広島を写した写真などを見ることができる。

 ただ、展示には匿名のものも多い。「朝鮮の人々が集まって暮らしていた掘っ立て小屋はあっという間に(原爆で)崩れ落ちました」「本当に長い間、原爆被害者であることを隠して生きてきました」。広島で1歳のときに被爆した女性の手記だ。

被爆者だと明かす人少なく

 壁に大きく展示され、日本語…

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