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全体討論で「企業の責任」復活の意義を語る登壇者たち=2025年2月16日午後4時13分、熊本市中央区、今村建二撮影
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 約半世紀前の水俣病1次訴訟で、患者側の勝訴に導く理論を構築した研究書「水俣病にたいする企業の責任 チッソの不法行為」。非売品で手に入りにくい「幻の書」だったが、一般向けにも販売する「増補・新装版」として復活する。それを記念したセミナーが2月、熊本市で開かれた。患者を支援する側でも方針が合わず、対立を内包しながら編まれた「荒ぶる協働」作業であったことを、当時の関係者が証言した。

 2月16日に熊本大学で開かれたセミナーには約60人が参加した。

 「企業の責任」は、水俣病患者が原因企業チッソに損害賠償を求めて1969年に提訴した1次訴訟の原告を支援するために結成された「水俣病研究会」が70年にまとめたリポートだ。

石牟礼道子さんも原田正純医師も参加

 地元で患者を支援していた作家の石牟礼道子さん(故人)やチッソの労働者のほか、原田正純さん(同)ら医学者も加わった。

 特に焦点になったのが「過失論」だった。当時、チッソは、原因企業と認定されてはいたが、公害を発生させた責任については「予見できなかった」と言い、過失はないと主張していた。

 予見できなければ過失は問えないというのが当時の法解釈の通説で、多くの専門家が「原告は勝てない」と見立てた。

 対抗するため、新たな法理論構築に取り組んだのが熊大法文学部助教授(当時)の富樫貞夫さん(91)だった。

 富樫さんは、企業が廃棄物を外に出すには毒物を除去し安全を確保する義務がある、という「安全確保義務」という概念を打ち出し、リポートの肝となった。

 しかし、研究会と弁護団は、裁判の闘い方を巡って方針がかみ合わず、リポートは準備書面にすんなりとは採用されなかった。このため5千部を刷って世に問うことにした。

 こうした経緯を、主催者を代表してあいさつした熊大の慶田勝彦教授(文化人類学)は「いつ分裂しても不思議でない、危うい緊張感に満ちて編まれつつも、勝訴を導いた『荒ぶる協働』であった」と表現した。

 熊大の学生として最年少メンバーで研究会に加わった有馬澄雄さん(78)は「水俣病がどういうものかを詳細に解説し、世の中に伝えたのが『企業の責任』だった」。70年の初版、2007年の復刻版とも研究成果の紹介だけだったが、今回、有馬さんは本にまとめた背景も知ってほしいと解説を補った。「1次訴訟はチッソと争った裁判だが、『国策』と一体化した企業がチッソ。国のあり方を問う裁判だった」と意義を語った。

チッソ労働者が内部文書提供

 「企業の責任」をまとめるう…

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