広告やファッション業界の第一線で活躍してきた写真家が、被爆80年を迎える広島と向き合っている。米国などでキャリアを積んだKei(ケイ) Ogata(オガタ)さん。なぜ今、ヒロシマなのか。
「このお地蔵さんに手を合わせていた方々は、原爆で変わり果てた姿を見て、どんな気持ちになるだろうか。言葉にならない胸の痛みを写真にしたい」
広島平和記念資料館で1月、顔の片側がケロイドのようになった被爆地蔵を撮った。弁当箱や衣服、人形などの被爆遺品も撮影した。「遺品の所有者である『人』が感じられるように撮る。それが僕の中での芯でした」
山口県で生まれ、広島市内の高校から東京の大学へ。20歳の時、8月6日の広島平和記念式典を報道するテレビ局の助手アルバイトをし、報道写真家に憧れた。その後、「VOGUE」などのファッション雑誌や広告の写真を手がけながらも、常に「どうしたら自分の仕事で社会に役立てるか」と考え続けた。米国では仕事の合間に亡命者らのインタビュー写真を撮影。東日本大震災後は被災地に1カ月入った。
昨年、久しぶりに平和記念資料館を訪れると、世界中から来た若者が真剣に展示を見る姿に、希望を感じた。
核戦争の芽をはらむ欧州や中東の動きに、少しでも「ちょっと待てよ」と思う人が出てきて欲しい。そのために自分の技術を生かしたい……。資料館に手紙を送り、被爆遺物の撮影が実現した。
人のために生きる姿、美しい
広島に住む兄から、各地の核…