連載コラム「日曜に想う」 論説委員・沢村亙
毎夏、私は広島で被爆した母が書き残した体験手記を、本欄で取り上げてきた。以下の場面を記すことには正直、ためらいもあった。だが、これも原爆の一つの姿であり書いておこうと思う。
爆心地から約1・3キロ。学徒動員先の広島逓信局で母は被爆した。川沿いの日本庭園「縮景園」に逃げ込み、土手に身を潜めた。火炎が迫った。〈川に、20メートルくらいの高さの真っ赤な火の渦巻きが……〉〈頭上の松に燃え移り、松葉の火が夕立のように降ってきた〉。多くの避難者とともに川に振り落とされる。
〈息ができない。傍らの人の肩をつかむ……だれかが私の足を水底へ引っ張る……私も苦しさのため人の髪を思い切り引っ張る〉〈必死の動作を繰り返す……石の上に足が届いた……うれしい。生きている〉
極限状況だったとはいえ、助…