仙台市中心部に、大規模な横穴式防空壕(ごう)の跡が残されているのを、地元の研究者らが見つけた。戦時中に造られ、米軍による焼夷(しょうい)弾空襲の際、大勢の市民が逃げ込んで助かったとの証言がある。現存する民間人向けの防空壕跡では国内有数の規模で、研究者は「戦争遺跡」として保存・公開するよう、仙台市と話し合いを続けている。
この防空壕は凝灰岩の崖に掘られ、複雑な構造の地下トンネルになっている。通路は高さ、幅がそれぞれ約2メートルあり、総延長は200メートル以上になるという。
壕の存在は長い間忘れられていた。見つけたのは、在野の研究者らでつくる「仙台・空襲研究会」だ。
崖の凝灰岩、ツルハシで掘った地下空間
仙台空襲は1945年7月10日未明、米軍の大型爆撃機B29が大量の焼夷弾を投下し、市街地を焼き尽くして約1400人が犠牲になった。研究会は2013年に発足し、市内で毎年夏、空襲関連の展示をしてきた。
記事の後半では、この横穴式防空壕に一家で逃げ込んで助かった男性の証言を紹介します。男性の記憶が手がかりとなり、74年ぶりの壕発見につながりました。
展示会場に置かれたノートに…