大阪・梅田スカイビルやJR京都駅ビル、札幌ドームなど都市の顔となる巨大作品を手がけた建築家で東京大名誉教授の原広司(はら・ひろし)さんが3日、死去した。88歳だった。葬儀は近親者で営む。喪主は妻若菜さん。後日お別れの会を開く予定。
日本の現代建築を実作と理論でリードした一人で、フラットな空間がどこまでも続く近代主義建築の「均質空間」を乗り越えようとした。世界中の集落調査の経験と哲学や現代数学、宇宙論の知識を生かし、「住居に都市を埋蔵する」と宣言した自宅・原邸(1974年)や、「空中庭園」を備えた梅田スカイビル(93年)、巨大建築に谷のような地形を導入した京都駅ビル(97年)などを生み出した。
日本建築学会賞を受けた田崎美術館(86年、長野県)や村野藤吾賞を受けた衣料品メーカーの本社ビル・ヤマトインターナショナル(86年、東京都)、飯田市美術博物館(88年、長野県)、宮城県図書館(98年)も手がけ、著書に「建築に何が可能か」「空間〈機能から様相へ〉」「集落への旅」などがある。
名伯楽としても知られ、東大生産技術研究所の原研究室などからは、山本理顕氏や隈研吾氏らが輩出した。作家の大江健三郎氏との親交も深く、同氏の故郷の中学校の校舎も設計した。