名古屋学院大の玉川貴子・准教授

 一人暮らしの高齢者の増加などを背景に、引き取り手のない遺体が問題になっています。対応にあたる自治体によると、身寄りがないケースだけでなく、家族親族が引き取りを拒む例も多いといい、「昔は引き取りを拒まれる例はあまりなかった」という話も聞きます。弔いに対する意識が変わりつつあるのでしょうか。「葬儀業 変わりゆく死の儀礼のかたち」などの著書がある名古屋学院大学の玉川貴子准教授に聞きました。

 ――一人暮らしの高齢者が亡くなった場合など、自治体が親族を捜して連絡をとっても遺体の引き取りを断られるケースが増えているといいます。

 生前に関係性を感じることなく亡くなった場合には、親族だとしても、「弔わなければいけない」とか、死者への尊厳とか、そういう規範や道徳の思いで見る対象ではない、ということではないでしょうか。そもそも、自分の生活の範疇(はんちゅう)にはなかった人、ということかもしれません。それは、個人の生活を優先する、個人主義的な考え方の表れ、とも言えるのでしょうか。いいか悪いかは別ですよ。

 一方で、密な関係性があった場合には、亡くなってもそばにいるという感覚がある。その両極端のような気がします。

 ――引き取り手がなければ、遺体は自治体や葬儀業者の人たちに見送られて火葬、納骨されることになります。生前には関係なかった人に、見送られるということになります。何となく寂しいイメージがありませんか。

 自分の遺体の引き取り手がないという事態を、当事者がどう思うのかはまったくわかりません。生きている側が死者に対して冷たくなったのか、という判断は正直、難しい。

 ただ、戦後の葬儀の歴史を振…

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