100年をたどる旅~未来のための近現代史~⑥形成される「世論」
二つの世界大戦の「戦間期」に着目し、100年前と現代との類似性をよみとく連載の第6回。
「戦争」と「世論」の関係性を通し、世論の形成過程を考える。
百年前はマスメディアの興隆期だった。ラジオ放送開始。雑誌「キング」創刊。婦人雑誌の普及。メディアは世論にのみ込まれ、あおりもした。
情報の質より関心を集めることが重視される「アテンション・エコノミー」。ネット時代の言葉だが、佐藤卓己・上智大教授(メディア史)は、当時にもあてはまるという。「1930年代の新聞は戦争ビジネス。好戦的な大衆が読みたいであろう記事を出していた」
軍縮を掲げた朝日新聞も不買運動や軍部の圧力に押され、姿勢を転じた。部数は伸びていく。従軍した作家・林芙美子と組み、中国でのルポを大々的に売り出した。ルポを収録した38年の書籍「戦線」で林は書く。
「弾の来ない後方にあって、兵隊以外の人間が、言いかえるならば、戦争を知らない人間が……何かを『考える』と言うことは全く危険なことだとも思います。……平服をぬぎすてて一律に軍服を着た『兵隊』の姿の神神しさ。……箇々(ここ)の生活に置かれていた一人一人の人間が、祖国の為(ため)に銃をにない、軍服に身をかためて、一大集団となり、どんな危険な場所へも、悠々と生命を晒(さら)してゆける『男』の偉さに、私は何か神秘な尊いものを感じずにはいられません」
「文芸春秋」の読者700人弱が回答して40年1月号に載った「輿論(よろん)調査」は、「日本知識階級」の意思の表現と銘打たれた。ここでも「対米外交は強硬に出るべきか」という質問に対して「強硬に出る」が62%、「強硬に出るのはよくない」が37%だった。
- 【前回】幣原喜重郎が危ぶんだ「人心の傾向」 進まぬ対中外交、足元の強硬論
当時、選挙権を持つのは男子のみ。「選挙権がない女性や若者も含め、戦争に協力することで承認欲求や政治参加の欲求を満たそうとしていた」と佐藤教授は指摘する。
政治家の強硬発言に好意的な反応 メディアはどう対峙すべきか
世論を反映したメディアの言説は、町内会や学校を通じて社会に浸透。そこで上がる声が、世論の熱狂として、再びメディア上にこだまする。
為政者は意図して世論を操る…