東日本大震災の後、津波で被災した海岸にはコンクリートの防潮堤が張り巡らされた。その中で、14年近くを経た今も工事が続き、完成の見通しすら立たない場所がある。疑問符がいくつも浮かぶ。防潮堤とはいったい何のためだったのか。
宮城県気仙沼市本吉町の日門(ひかど)地区。漁港を中心にした集落は、2011年の震災で約20メートルもの津波に襲われた。国道45号沿いの住宅十数軒が流され、犠牲者も出た。
県はここに高さ9・8メートルの防潮堤を築くことを計画。東日本大震災クラスの津波は防げないが、数十年~百数十年に1度程度の津波には耐える高さだ。震災後にできた防潮堤の多くは、この方式で高さが決められた。
だが住民は、この防潮堤では砂浜が失われ、海が見えなくなると反発した。災害時の安全確保のため国道をかさ上げし、のり面を防潮堤代わりにする案を住民から提示。協議が続けられ、曲折を経て、9・8メートルの防潮堤の高さまで国道を上げることで、19年7月に合意した。
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