志賀直哉旧居の2階の座敷に置かれた観音像。補修された両腕は外されている=学校法人奈良学園提供

 1925(大正14)年から13年間、奈良で暮らした志賀直哉と、1923年の関東大震災後は関西を拠点とした谷崎潤一郎。2人の文豪は、奈良で出会った同じ観音像に刺激を受け、代表作を生み出していく。そんな過程を追った著書「文学する身体 谷崎潤一郎と志賀直哉」を、建築史家・文明批評家の呉谷充利さん(76)が刊行した。

 呉谷さんは奈良市高畑町の志賀直哉旧居を拠点に活動する「白樺サロンの会」代表を務めている。

 呉谷さんは、志賀がこの家に安置していた木製観音菩薩立像が谷崎から譲られたもので、現在は早稲田大学会津八一記念博物館(東京)が所蔵していることを突き止め、2011年に発表した。その後も観音像と両文豪の関わりについて研究を続けてきた。

 志賀と谷崎は1927年、連れだって訪ねた奈良の古美術店で、平安時代ごろのものとみられるこの観音像を見つけた。

2人が見せた想像力とリアリズム

 この時は谷崎が3千円(現在…

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